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封建的な価値観

 モラハラの本を読んだことがあったけれど、あれを読んで思ったのは、封建的な古い価値観が新しい価値観に置き換わるときの狭間の苦しみなのかということだった。

 そんななかで、絶対的な善悪を求めるのは、実は難しいことだなって思う。

 学生の頃、山内昌之「ラディカル・ヒストリー」を読んだ。そこにはロシアとイスラムが交わるときの歴史が書かれていたのだけれど、特に目を覆いたくなったのは、中央アジアのイスラム文化の女性蔑視・女性差別だった。ほとんど、女性には人権が与えられていなかった。結婚ももちろんそうで、自分の意思でなどできなかった。カーリムと呼ばれる一種の結納金は、ほとんど人身売買の様相を呈していたという。この辺のルールはソビエト連邦が改革に乗り出すまで、長い歴史の中で培われていったものだ。であるから、異文化の介入がなければ、ずっと続いていたかもしれない。それは、その社会の中では善でありつつけたわけだ。

 今日、ネット通販で買った本が届いた。それは「性のレシピ」という性愛に関するものだ。書くのが恥ずかしいけれど、テクニックだけでなく心についても、まじめに問題を取り上げて考えているように思う。

 そこで「男の保護欲」というのがある。男は自立した女性をあまり好まない。男は、自分を絶対的に保護してくれる強い男性を切望するような女が好きで、そういう自分より弱い者を見ると「自分にも力があるのだ」という『錯覚に陶酔する』のだとある。そして、この関係は完璧な共依存関係に陥り、独占欲によって最後は破局するとある。

 そして、それを踏まえて、自立した女性の幸せをも考える著者は、「完全なる男女関係」の三原則を提案する。

 1:両方が自分の世界を持っている。(自立)

 2:二股、三股などに免疫を持っており、ある程度は貞操観念を捨て去る。(独占欲の放下)

 3:そうした関係に口出しをする世間の言葉に耳を貸さない。(信念)

 これを読んでふーんという感じだけれど、封建的な価値観とは180度違った生き方だと思う。この価値観は、個人主義の最たるもので、社会性動物としての論理からは逸脱しているような気がするのは気のせいだろうか。というより、自立の範囲を考えないと、無理難題がやってきたときに、対処できるんだろうかって思う。更に言えば、自立したもの同士の協調の動機とは、一体なんだろうかって思う。もちろん、仕事の人間関係は、こういうものだったりするのだが。

 まあ、いずれにしても奇書であるが、考え方は興味深い。

 個人主義が進むということは、ひとそれぞれということだから、価値観にも幅広い分布があるということになる。そんな社会の中でさえ、自分が良いと思ったことを成すしかないけれど、その行為自体が他者には受け入れられないこともあるだろう。だから行動一つ一つが批判を受ける可能性がある。それは価値観のおしつけであり、暴力である。となれば、譲歩できるところはし、無理なところは信念を貫いて生きるしかないのだろうか。そんな価値観のすり合わせをしなければ、生きる道はないのかもしれない。そこには諦めも入る。何を諦めるかは、人それぞれだ。

 それって、八方美人的に生きてきたわたしには難題だけれど、地歩を固めていくほかはないと思う。いずれにしても、自分の言葉で語るということだ。

 ただ、暴力をかわす「技法」だけは身につけていかねばならないのかもしれない。

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