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背負ったものを諦める力

 2年前の在庫です。

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 望まずとも背負わされていることが多いなあと感じる。でもなぜか、その負わされたものでも、ある種の誠意でもって臨みたいと思っていた。

 しかし、そこで言う誠実さとは一体なんだったのか。3年前にここに舞い戻ってきて、背負わされたもの。そのまえからいつのまにか、私が背負うことになったもの。長男の長男だからといって、継承したなにがしか。
 今の私は、それに縛られているのは明らかだ。

 責任とはそうしたもので、それを負うものに、自然に集まってくる。周囲にしてみれば、彼は頼れるなと。便利だからねえ。
 しかし、物事には順番も優先順位もある。ある種の責任を回避したものに、人を責める力はない。それは、馴れ合いだ。そんな輩に関わっている余裕なぞない。といいつつ、彼らのニーズによって、自分が立っているのは明らかだった。

 しかし、たぶんニーズだけではない。責任を負わされるのは、ある程度は慣れっこになっていたし、そうやって貢献することを喜ばしく思っていたのは事実だ。ただ、まだまだ人の求めるものに応えることばかりで、自分が求めることを創ることには思いが至っていない。

 そして、安易に自分が売られていることを、未だにどこかで潔く認められない自分がいる。売っている自分を、親の愛であるかのように、あたりまえに受容する若者ら。彼らを相手にして、一日一日が過ぎていく。しかし、それが私の仕事なのだ。そういう愚痴を半端にしかこぼせないのは、わたしの不徳の問題なのか。どこかでこれを堪えねばならないのだと思っている自分がいるが…。

 ただ思うのは、応えることを超えたときに、わたしは創造に移れるのかもしれないって、自分にほのかな期待を持っている。

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