« 心を踏みにじる | Main | 合意と妥協の産物の美しさ »

腑に落ちない不安との戦い

 腑に落ちる気持ちよさを知ってしまったがゆえに、腑に落ちないことに対する不安に耐え切れない。その不安を自ら解決するために、自分のスキルを高めた。それが昂じて、容易にわかった気になれることでは飽き足らず、理解困難そうなことに近づいていった結果、今の職業を最終的に選んだのだろう。いや、もっと言えば、苦労して働きかけた結果としてその困難さを乗り越えたというプロセスによってのみ、喜びを手に入れられるように思っている自分がいた。

 以前、ある偶然から大きな仕事に加わることができ、その結果は一流誌に掲載された。そのような幸運に浴することができたのは、腐らずに、従順に仕事をしするとともに、そういう仕事を受け入れるだけの自分の手入れができていたからだと思う。今、管理する立場になって思うのは、不遜な態度の人間に、そいつができるからという理由だけで、いい仕事をまわしたりすることはしないから。

 その意味では、それに加わって成果を挙げることができたのは、単なる偶然とも違うのだ。そして、毎週のように一流誌に掲載される仕事が数多ある。そのくらいの受け入れ態勢を作っておくということも、そんな運を引き込むのに必要なことなのだと思う。

 であるのであれば、わたしもその仕事の栄誉にもっと浴してもよかった。しかし、人のやっかみの前に、その栄誉を自ら捨てた(とはいえ、半端には利用させてもらっているが)。そして、今度は自分で一から作り上げるのだという不遜な態度に自らを貶めた。その戦いはますます困難さを極める。自分を自分で苦悩の淵に呼び込んだのだ。

 人がどんな生き方をすべきなのか。そんなことを誰かが決められるわけではない。自分でさえ思い通りにならないのに。
 自分で引きつける運命もあれば、偶発的な運命もある。しかし、どうあっても、人との関わりを絶つことはできない。そのなかで模索し続けるだけだ。

|

« 心を踏みにじる | Main | 合意と妥協の産物の美しさ »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29245/7130515

Listed below are links to weblogs that reference 腑に落ちない不安との戦い:

« 心を踏みにじる | Main | 合意と妥協の産物の美しさ »