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幼いときの勘違い

 小学生のときだったか、深夜に目が覚めたとき、隣に寝ているはずの両親が見当たらず、隣の部屋で声がした。

 わたしは、聞き耳を立てたが、どうも父が問題を起こしたらしく、母がそれを責めていた。

 わたしは臆病な人間だった。それを聞いたときに、家族が崩壊するのではないかという不安を覚えた。

 それ以来、わたしのなかで、家庭をどうにかして維持していかねばならないという決意が芽生えた。

 そのときの話を母にすると、そんなに仲が悪かったわけではないよという。

 それを聞いたとき、それは私の勘違いだったのかもしれないと、ようやく思う。

 もちろん、生きていくためにはさまざまな妥協も必要だろう。そして、神以外は人を全面的に責めることなど絶対に出来ないのだから、それだけのことで、直ちに崩壊の危機に至ったわけではなかった。


 ただ、その後も続くそうした積み重ねと、すれ違いのなかで、母の決断に至ったのは事実である。それを察知したのは、一度は死に掛けた子供の直感だったのかもしれない。

 両親がその流れをどうして止められなかったのか。
 それを今まで問うてきたが、どれだけ理性を使っても、そんな個別事例から一般原理をひきだすことなどできないのだと今回の経験で思い知った。
 少ない経験から大層な原理を引き出そうとすること、そんなことをしてしまうのは世界への恐れに原因があるのだろうし、神になろうという不遜な態度なのだと思う。研究者はそれをしようとしてしまうが。
 ただ、率直な感性はまちがいのない解を出してしまっているのかもしれない。

 いずれにしても、人間関係や家庭を正面から眺められるようになった今、自分の中でそうしたことごとへのこだわりが解けていくのがわかる。そう感じられるのは経済的に豊かだからなのだろう。人が居なくても生きていけるんだと。その不遜さに嫌気がさす。若さ(?)ゆえの過ちなのだろう。老境に至っても同じことが言えるのだろうか。

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