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わたしの結婚観の変化

 ようやく恋愛とか結婚というものを真正面から捉えられるようになってきた自分に、ご苦労さんといいたい。
#恋愛というか、それを包括した人間関係なのだが、とりあえずここではそういう言葉を使う。

 そして関係各位にも。

 とはいいながら、現実には同世代には未婚の人も若干居るし、あるいは時間がかかった人も多い。

 この現象はどうしてなのかと振り返ってみれば、いくつか思い当たることがある。


 われわれは、戦後経済成長の時代の中に生まれ、価値観が大きく変遷するときに育った。
 わたしの親はその意味で古い価値観の中にあったが、世の中はそれから大きく舵を切りつつあった。

 それまでの結婚は、必ずしも恋愛中心ではなかった。特に東北の田舎出身の両親の周囲については、そうではなかったろう。

 その価値観の違いは、嫁姑問題を含む家族のあり方そのものにすべて影を落としていた。

 新しい価値観を生む。その生みの苦しみの中で、われわれは生まれて育った。


 新しい時代は、家の時代から変わった個人の時代であり、結婚したとしても、女性は家に縛り付けられる必然性がなくなった。しかしながら、古い価値観は当然、年長者とともに残っていて、若者たちを苦しめる。

 若者たちは、経験もなく、社会の荒波に投げ出されて、彼らなりに模索して生きているのだが、年長者はその経験に物を言わせ、意図せずとも彼らを制御してしまう。

 社会の進歩によって、生活そのものが軽くできるようになってきている。家事一般もそうだし、仕事の質も一変した。われわれの業界でも、たとえばパソコンの存在によって、表現にかかる労力が減りと自由度が高まった。その結果、より高品質なものが、短時間で効率的にできるようになっている。

 しかし、心を変えていくのはそう容易なことではない。幼いころに親からたっぷり振りかけられた古い価値観を、時代に合わせるには経験が足りず、時代に翻弄された。

 旧来の考え方と決別し、自分の考えで生きていく。自立のためには、生活力も必要だろう。


 しかし、現実と理想の間を彷徨い、わたしは問い詰めてしまった。

 その結果、そういう専門職として一定の経済力を手に入れることには成功した。このことは生活を送る上で大切なことではある。

 そうではあるが、変化を踏まえつつ駆け足で進んできたがゆえに、いくつかの見落としをしてしまっているのである。

 以前、北京でカラオケバーに行ったときに、ホステスの女性に中学生のような恋愛観だといわれたと書いた。

 しかし、それは現実だから仕方なかった。浅い経験は隠せなかった。


 ただ、それは已むに已まれぬ事情というか、運命というか、そういうものである。

 いずれにしてもわたしは、中学生といわれても、その意味での育ちなおしをしなければならないのである。

 そういう決意なのである。

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