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自然の論理と生命の論理

 年末にテレ東のドラマの再放送「国盗り物語」を見た。原作は司馬遼太郎で、斎藤道三・織田信長・明智光秀が織り成した戦国乱世の物語である。昨年の年初に見たときも思うところはあったが、今回はなぜか違った想いで見ることが出来た。

 とにかく、いい訳もせず、自分の人生を何に費やすかを決めてかかっている彼らの美しさがまぶしく見える。天下を平定するという大それた想いである。とはいっても、今の世で、世界統一を目指すなんていう途方のなさとも違う。今の世で、働くのは負けだと思うってのも違う。幕府が傾きかけている現実を踏まえた、あくまでも現実的な想いなのである。いや、それは結果論かもしれない。
 そんな実現しそうな世においてさえ、それが実現するためには、如何に多くの人間達が関わっていることかを思い知らされた物語でもあった。

 ところで、なぜ彼らが命を賭して、そのような思いに懸けることが出来るのだろうかと想う。それは男の本性であるのかもしれない。
 そして、そんな世に生きる翻弄されつつ、信念を持って生きる女達は一体なんだったのか。そんなことを考えた。


 生命の母体としての女性と、自然との戦いの前線に立つ男性。これは、Germ(胚細胞)/Soma(体細胞)という多細胞真核生物の対立軸の反映ではないかと思う。つまり、生き続けようとする胚細胞とその捨石として死ぬことの出来る体細胞という二つの極である。その意味で、命を繋ぐのは女性。それを守るために産み落とされたのが男性といえるだろう。もちろん、それだけでは、「真の男」ははぐくまれないが…。
 ちょっと科学的過ぎるが、それに関して書かれた面白い小論がここにある。

 その意味で不可分な対立する軸というのは、物事の本質だということがわかる。脳内で起きていることと、世界で起きていることの対立軸の中に、唯脳論の本質があるのであるのなら、GermとSomaの対立軸の中に、生命の哲学があるのではないだろうか。それは、男と女の哲学でもあるのだろう。

 女は生命の源であって、生命にとって最も価値あるものである。しかし、それだけでは自分達の適する環境にしか生きられない。男が自然環境と対峙するために生まれたと考えるなら、父系社会が世界で優勢であるのは、至極納得のいくことである。男に重きをおかなければ、厳しい環境に生きられないからである。それほどまでに、両性にとって母性とは大きなものであるのだ。放って置けば、子らは母性に溺れる。マザコンは自然の成り行きである。

 男の仕事は自然と対峙することであるが、それは突き詰めれば、自然と向き合うということであって、収奪でも、制御でも、理解でも構わないのかもしれない。いずれにしても、男にとっての関心事は、自然であり、いつのまにか取って代わられつつある社会であるのだろう。自然を制御したつもりの我々が、その代わりとも思える社会に何時までもかまけざるを得ないというのは、われわれの働きそのものが、所詮は自然の理を越えられないことにあるのだと思う。いや、本当は社会を制御している巨悪が居るのかもしれないが:-)


 ところで、男と女のありようは分業といえるだろう。分業によって、人は必要なことにのみ時間を十分に割くことにができ、その任を高度に発展させることができる。それによって、不可能だった自然・社会への適応を可能にした。このことは、生命の可能性を拡大するものである。名誉とはその行為に対する賞賛だと言って良い。勝者は、不安定性を排除して、安定的な生命の論理を構築しえるという意味において、名誉を与えるに値する。

 分業という形態が安定的に機能するには、その相互の域を侵さないという前提があってのものだと思う。女性は生命的価値において男性を凌駕する。しかし、男の作った社会というシステムの肥大化にともなって、作ったシステム自体が制御不能になったときに、いつのまにか本来の意味が失われ、相対的に女性は虐げられる存在だと思われるようになった。分業自体が疑われる時代が来た。このことが、新しいものが尊ばれ、人口に膾炙して輝きを失っていき、いつしか忘れ去られる平衡化の表現形である。


 今見ている番組では「歴史は繰り返す」と唱えている。
 当たり前だ。自由が失われれば、戦いはない。平和とは窮屈な退屈をいうのだが、去勢しない限りそれは無理というものではないだろうか。それは、死を意味する。

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