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初の靖国参拝

 35を過ぎれば、身体が気になる。勤め先の補助がある人間ドックを受けることにした。

 その病院は千鳥が渕のそばにあって、物議を醸す靖国神社は目と鼻の先である。半日のドックがことのほか早く済み、最近神社付いている私は、初の招魂社参りをすることにした。

 都会の真ん中にあるその社は、奇妙な雰囲気だ。多くの神社は無理にでも鬱蒼とした緑の中に構えようとする。しかし、参道には申し訳程度に木々があるものの、切れ切れの緑のその先には、街中を気付かせるビルが。

 しかしながら、鳥居を二つくぐれば、そこは緊張感に満ちた神聖な場所である。手水場で清めたとはいえ、本当にわたしがここに参拝する資格があるのか。奥州列藩同盟の地に生まれたものである。確かに祖父の兄弟は戦地でなくなった。今、彼らはここに居るのだと納得させながら、お参りをした。

 わたしは右翼でも左翼でもないが、昨今のブームに乗って、右翼気味なのかもしれない。少し違和感を覚えながらも、すがすがしい気分も片方であった。ドックのために、朝から水さえ取っていない。自販機で清涼飲料水を買い求め、気分を落ち着けた。

 そのあと、遊就館を訪れた。聞こえは悪いが右翼の巣窟である。
 前にも書いたが、我々にとって太平洋戦争とはなんだったのかを思う。毎日新聞社刊「一億人の昭和史」を眺めながら思うことは、「どこの誰が自由に生きていたというのか」ということである。しかし、だからといって、責任を負わなくていいということはなく、負わねばならないのだ。という、この2点である。

 私の出合った親くらいの年代の人の多くに言わせると、とにかく戦争は悪で、しなくてもいいことをしたのだという。

 わたしは、その言葉が気持ち悪く映る。まるで、自分の行為が、過去とは無関係に理にかなったことばかりであり、誰にもとがめられることはないといううそ臭い自信に溢れているようだったからだ。

 自分が戦地に赴く人間で戦争をしたい人なんているだろうか。しないで済むなら、したくないだろう。でも、おかれた状況の中でベストを尽くそうとしたはずだ。彼らは、そんな人の思いなんて、全く理解しない。まるで、反対しなかったことを愚かだと言わんばかりである。

 わたしは、そんな冷血漢でありたくない。その時点で囚われているんだという向きもあろうが、私の命なんて、ただ、流れの中に生きている。その程度のものだからだ。

 こんな人間の想いを、強く跡付けたという点において、この資料館の意義は如何ばかりか。それを鵜呑みにすることはなくとも、この種の歴史は今でも日本に跡付いているということが、なぜか安心できることだった。


 いずれにしても、とにかく忙しくて対話にならない。右でも左でも、とにかく心が伝わるコミュニケーションを欠いている。これが進歩した社会性生物の末路なのか。

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