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トレンドに乗るだけでいいのなら

 為替や株に興味を持ち始めて1年くらいになるだろうか。得もし損もしたが、ようやくテクニカル分析云々に到達した(というよりやる気になったというべきか)。その解説本を買ってみたら、その帯には、

 「トレンドに乗るだけ、タイミングを逸しない!」

と。

 さもありなんと。資産も多くない個人投資家が出来ることは、その程度のことだ。介入してトレンドを変えられるくらいの資金があれば操ることも出来ようが、出来ないからには流れを予測して生きていかねばならない。
 金は人生にとって大切なものではあるが、それが本質ではない。沢山あればそれに越したことはないが、使いきれない金は要らない。だからこそ、トレンドを作りたいとまでの思いを持つ人は少ないだろう。

 そんなふうに自分に裁量権がないときには、思うが侭の勝手なことは出来ない。こんな基本的なことさえ分かっていない輩が多すぎる。いや、自分の勝手にするなら、それは構わない。ただ、誰の支援も得られないというだけのことだ。学校は授業料を払っているからある程度のサポートが受けられる。そして、親は無償の愛を呉れる。その狭い世界に安住して、それが当たり前だと思っているのだとしたら、想像力が乏しいのではないか。与えられるものがいつまでもあるという発想は、この長らく平和な国だからこそのものであろうが、とても残念だ。それを受け入れた上での教育とはなんだろうという議論は次に措く。

 好きに出来ないということを理解するなら、自分を包む流れを見ていかねばならないだろう。それが、本の帯に書かれていたことだ。とはいえ、長期的に見れば、そんな流れの予測さえも意味がないかもしれない。新しい波が訪れるかも知れないから。それを狙って我慢するのもいい。それが「こだわる」ということである。その価値観を維持したい、拡張したい、そして、それで評価されたいということであろう。これは冒険である。それが受け入れられる日まで、不遇を託ちつつ、辛抱するほかない。が、それだけの覚悟があるか?
 それが若さであるとしても、そのことに不平を述べるのなら(もちろん述べるのは勝手だとしても)、そして自らの誠実さを誇りとするなら、その主体性のなさを恥じてから言えということだ。彼らの中には他の威を借りて自分を誇示する者もいる。その様は、自分の価値を示せず、哀れとしか言いようがない。そのような者は、追求されるとすぐに馬脚を現し、無責任な発言に終始する。そんな矜恃のない者を、人の上に立つ者は直感し、係わり合いを避ける。誰もそれを知れば係わりあいたくはないが、わたしはそれらと日々直面させられる。それが現代の教員として金を貰っているということなのであろう。


 豊かなこの国で、自分が働きかけなければ生きてはいけないということを知るのはとても難しいことになってきている。都合のいいときに金を稼げるアルバイトだってある。上司にかしずく定職に就くなんて面倒だ。自分に無理をすることはない。必要なときに、与えられたことをこなして食い扶持を得ていればいい。あれっ、人生の意味って何だっけ。そんなものあったのかな?


 人生の意味とは、人生の喜びとは何だったか。そこに立ち返っている若者はそれほど多くない。残念なことだが、その代償としての何かを得たとしても、本当の喜びに気付くことなく、人生を終えるのが大半なのかもしれない。かといって、私が人生の本質を知る域に達しているかといえば、それは分からない。しかし、だからといって、何でもいいとも思わないし、それが得られるのは偶然だなんて絶対に思いたくはない。 

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