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成長するということ

 自分を含めた人間の成長する様を見るにつけ、人の可能性を思い知る。

 未だに一人身でいる私であるが、ここにまで至った理由の一つは、老境を共にする伴侶に期待するある人格があるからであった。いや、それはこれからも変化していくものであろうが、それをイメージできなかった。

 どんな人ならやっていけるだろうか。両親の離別で家庭の崩壊を経験した私には、温かい家庭の像がすっぱり消えてしまった。それを経験していないわけではない。しかし、今の私にそれを求めるほどの強い想いがない。

 ということは、そういうなにかを追求しあえる人間との出会いをどこかで期待してる自分に気付く。

 では、どんな人とならそういうものを追及できるのだろうか…。


 高校時代の英語の先生が、「結婚とは交通事故のようなものだ」と言ったことを思い出す。東大の独文を出たとかいう独身の、しかしもう結婚を諦めたような風体のその先生にも、想いが行きかうことはあったという。
 それはそうだろう。しかしそこに至らなかったのはなぜか。

 たった一度の人生を、大事にしすぎたあまり、覚悟と決断を鈍らせてしまったのかもしれない。

 でも、だからといって、不幸だとは言えるわけもない。

 伴侶とともに成長しようという覚悟。ああ、また難しいところに入る。

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