« 東京裁判と靖国問題 | Main | 久しぶりの折伏 »

合理性の追求の果てに

 以前も引いたMarxの著作の冒頭の言葉。

Men make their own history, but they do not make it as they please; they do not make it under self-selected circumstances, but under circumstances existing already, given and transmitted from the past.
(Karl Marx, The Eighteenth Brumaire of Louis Napoleon)

 思い通りにならない現実の中に生きなければならない我々は、合理性を持ってそれに立ち向かう。
 そして、習慣的な日々の積み重ねの中には、非合理とも思えるものも含まれている。分かりにくいこと。結果が見えにくいこと。習慣化が必要で、長い時間が掛かること。合理性を追い求めた結果、ついそれを蔑ろにしてしまう。

 しかし、それはボディーブローのように後から効いてくる。合理性だけでは勝てない何かが付いて回る。

 確かに、「今求められるものがこれだから、これを追及するのだ」と合理的には考えることができる。もちろん、生きるためにはそれも必要だろう。
 しかし、それだけでは、いざ予測できない事態が起きたときに対処できないこともある。それが一過性のものならまだいいが、地殻変動・天変地異がおきて後、対処が間に合わず生き残れないかもしれない。

 合理性を追求するものからすれば、まどろっこしい、面倒で、瑣末なことごと。しかし、それが健全な人生に如何に深く関わっていることか。
 わたしも恥ずかしながらここ暫くその問題に直面した。英語学習の放置。人間関係における必ずしも適切でない対応。生活環境の整備・生活習慣の怠惰さ。まさに落とし穴の底に居たように思う。合理性を求めた結果、単なる怠慢な自堕落さに繋がっていたのかもしれない。理屈さえあれば、逃避さえも合理的にすらなる。
 真の合理性に必要なのも、いつも言うがバランスであるのだと思い知る。

|

« 東京裁判と靖国問題 | Main | 久しぶりの折伏 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29245/4373961

Listed below are links to weblogs that reference 合理性の追求の果てに:

« 東京裁判と靖国問題 | Main | 久しぶりの折伏 »