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いつまで戦後なのか

 北朝鮮問題を端として、日中韓の関係が怪しくなってしばし経つ。この東アジア諸国と米国と他のアジア諸国との駆け引きの困難さを思うと、頭が痛くなる。

 この半世紀余り、先の大戦の勝利の余勢を駆って、米国の価値観による世界再構築の完成と円熟が進んだ。この米国のもたらした経済至上主義の中で、大戦は起きなかった。「戦後は終わった」という言い方は、そうしたパックス・アメリカーナの恩恵を受けることができて、それに浮かれた人々の、打算に満ちた甘えん坊さ加減の表れとも思える。とはいえ、戦争もないお気楽な人生というわけでもなく、心を無視した経済競争が行われてきた。時間にゆとりのない、多忙な社会人が巷に溢れる。しかし、現実を受け入れるほかない我々人間にとって、それにうつつを抜かさねばならなかった事実をただ責めることはできまい。

 ところで、この経済至上主義の命題とはなんだったのか。そんなものはなかったとしても、経済格差の平衡化エネルギーこそがその推進力であり、経済格差こそが経済的冨を生み出す原理であるのだろう。米国は建国以来、同じことを繰り返している。冨を集めるために不均衡さを取り入れた。そうやって進んだ均衡化のあとで、必ず不況がやってくる。その対策は、技術開発と戦争などなど。そういう相変わらず不均衡を生じさせるためのルーチンが求められているに過ぎない。もちろん、そういう努力が無意味だといっているわけではない。ただ、それが価値観であり、現状だということだ。しかし、そのルーチンに巻き込まれた中国の、安い人件費、安い地代に基づく安い製品を、100円ショップで嬉々として買うということが、どんな意味を持っているのかなんて、考えたら恐ろしくて買い物さえ出来ない。
 そうこうするうちに、ある程度の経済均衡が世界の大国間で進む中、新たな価値観が望まれることになるのだ。

 世界に打って出るということが、いまある世界の価値観を一旦は受容するということでなければならないのは、自明のことだとして、独自の世界観を持ちながら世界の人口の1/3を占める中印が、それらとの調和の中で本気を出してきたのか。いよいよ眠れる獅子の御開眼に伴う世界再編劇の始まり始まりというところで、この日中韓の不協和音は、最終調整の必要性を説いているようにも聞こえる。どこぞの邪魔なんて無視してと。

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