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東京裁判と靖国問題

 国の内外に関わらず、首相が靖国神社を参拝することに違和感を感じる人は実際多いのだろうか。

 中韓の人々は、A級戦犯が合祀されているから行くなという。しかし、その感覚は少しばかり理解に苦しむ。
 我々日本人は戦争を起こし、敗れた。その間、さまざまな非人道的な行為があったことは否定できないだろう。しかし、それはあまねく日本人の上に覆いかぶさっている。戦没者を追悼するということは、そういった日本人の犯した罪を今一度見つめなおし、再び同じ過ちを繰り返さないようにという祈りである。それはA級戦犯も含んだ追悼であり、懺悔であり、祈りでなくてはならないのではないか。罪を憎んで人を憎まず。東條英機はヒトラーじゃない。それが、愛国心の芽生えつつある私の本音である。
 といっても、そういう感覚自体が、他国には通じていないのだろうと思う。ここからは、少し違った観点で書いてみたい。

 さて、問題となっているのはA級戦犯である。極東軍事裁判のことを考えてみると、戦勝国が戦敗国を裁くという異例の事件であったことは誰もが感じるところだろう。しかし、莫大な賠償金を支払わされた一次大戦の反省に基づいての策であったのだろう。理想的な手段がない中で考えられた手立てだったのではないか。

 A級戦犯は事実、罪人となった者である。これは、世界が結局受け入れてしまったことである。確かに国際法上の疑義があり、一部の判事も判決に反対した。そのうえ、我々日本人にそれを拒否する権利はなかったかもしれない。しかしながら、無条件降伏したこの国で、誰かが責任を負わねばならなかった。そのなかで、押し付けであったかもしれないが、戦争を決断した為政者たちが中心に裁かれたのである。その結果は、他の国々にとっても、戦後賠償としての円借款などの経済援助などに付け加わった何がしかの印象を残したはずである。
 そして、天皇制は存続し、そのこと自体を問う動きは今はない。それは国外からにしても同じである。それはなにか暗黙の了解ということだろうか。

 いずれにしても、勝とうが負けようが、戦争の責任は民族が負わねばならないだろう。一部で戦争に反対した者が居たとしても、だからといってそれからは免れるという問題ではない。戦争を止めることが出来なかったという意味では同じなのである。もちろん、為政者に近いかどうかという意味での重さの違いはあるだろうが。現に、ベトナム戦争を初めとして、その後の戦争で勝利した米国は、さまざまな問題を背負い込んだ。
 それが戦争であり、歴史であり、社会であり、政治というものだ。であるなら、我々が背負う責任を彼らA級戦犯が肩代わりしてくれたのではないのか。そのことは、戦犯に対する減刑嘆願運動の高まりにも見ることが出来る。国民は心的には彼らと決して遠くないところに居たのだろう。

 そのときに、責任を果たしたかどうかの判断は誰がするのか。自分達の判断でいいわけがない。それを決めることに外から意見があったとして、それを内政干渉だというのはすこしおかしくないだろうか。
 憲法にしても、これは自分達が望んだ結果じゃないって、今になって言うことにはどんな意味があるのか。これまでの戦後の日本を否定するということなのだろうか。
 こうした動きが、新しい世界政治の渦の中で起きていることは疑いようのない事実である。米国シフトなのか。東アジアに独自の価値観の勢力を構築するのか。微妙な舵取りが迫られている。

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いつまで戦後なのか

 北朝鮮問題を端として、日中韓の関係が怪しくなってしばし経つ。この東アジア諸国と米国と他のアジア諸国との駆け引きの困難さを思うと、頭が痛くなる。

 この半世紀余り、先の大戦の勝利の余勢を駆って、米国の価値観による世界再構築の完成と円熟が進んだ。この米国のもたらした経済至上主義の中で、大戦は起きなかった。「戦後は終わった」という言い方は、そうしたパックス・アメリカーナの恩恵を受けることができて、それに浮かれた人々の、打算に満ちた甘えん坊さ加減の表れとも思える。とはいえ、戦争もないお気楽な人生というわけでもなく、心を無視した経済競争が行われてきた。時間にゆとりのない、多忙な社会人が巷に溢れる。しかし、現実を受け入れるほかない我々人間にとって、それにうつつを抜かさねばならなかった事実をただ責めることはできまい。

 ところで、この経済至上主義の命題とはなんだったのか。そんなものはなかったとしても、経済格差の平衡化エネルギーこそがその推進力であり、経済格差こそが経済的冨を生み出す原理であるのだろう。米国は建国以来、同じことを繰り返している。冨を集めるために不均衡さを取り入れた。そうやって進んだ均衡化のあとで、必ず不況がやってくる。その対策は、技術開発と戦争などなど。そういう相変わらず不均衡を生じさせるためのルーチンが求められているに過ぎない。もちろん、そういう努力が無意味だといっているわけではない。ただ、それが価値観であり、現状だということだ。しかし、そのルーチンに巻き込まれた中国の、安い人件費、安い地代に基づく安い製品を、100円ショップで嬉々として買うということが、どんな意味を持っているのかなんて、考えたら恐ろしくて買い物さえ出来ない。
 そうこうするうちに、ある程度の経済均衡が世界の大国間で進む中、新たな価値観が望まれることになるのだ。

 世界に打って出るということが、いまある世界の価値観を一旦は受容するということでなければならないのは、自明のことだとして、独自の世界観を持ちながら世界の人口の1/3を占める中印が、それらとの調和の中で本気を出してきたのか。いよいよ眠れる獅子の御開眼に伴う世界再編劇の始まり始まりというところで、この日中韓の不協和音は、最終調整の必要性を説いているようにも聞こえる。どこぞの邪魔なんて無視してと。

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聞くに優れ、語るに劣る

 「自分の伝えたいことが伝わらない」

 この疑問が生じる以前は、伝えたいことがあるから素朴に語る。それを繰り返していた。しかし、そんな「誠実さ」で十分伝わっているだろうという錯覚と、それで伝わらないなら仕方ないやという諦めが混ざっていたのだと今になって思う。今まさに書きながら耳を傾けている深夜ラジオが「真剣さの美しさ」を語っている。それで許されて興味を惹かれればいい。あるいは惹かれなくたって生きていけるんじゃないかという甘えがあったのだ。

 冷静に考えれば、伝えるためにはそれなりの作戦が要るはずだった。しかし、読み解くということを当たり前のことだと思っていた私には、それがいくら厄介な難解な文章でも、読めないのは読み手たる自身の所為であり、伝えたい側の責任だとはあまり考えなかった。行間だって読んだるわい!そう思いながら読んだ。そんなわたしだから、なおのこと修辞にはあまり関心がなかった。

 今から思えば、なんでそんな風に全てを自分だけで引き受けたのか。なぜ、表現する側の気持ちには入っていけるのに、その逆の聞く側の気持ちに入り込んでいくことの意義を感じ取れなかったのか。まさに「説き伏せる」ということだし、馬耳東風なら仕方ないというスタンスであったのだ。それは、はっきり言えば、自分の才はそのままで生くるに足るのだという自惚れに過ぎないのだろう。ただ、才を磨くためには聞かねばならぬ、という謙虚さもあったゆえに、なんとかコミュニケーションが成立している。私にとってコミュニケーションは、ある一方通行なベクトルがパーツとなっている。予期しえぬ反論に臨機応変に向かっていく。そういう現場での戦術が取れない弱さが常につきまとった。以前よりはましになってきているとはいえ、その場での双方向の戦いに滅法弱かった。

 それは、十分に世に尽くしているかという恐れから来ているのだと思う。一応は謙虚で、世間から場所を借りて息をしている存在であるとは自覚している。だからこそ、十分な存在の根拠で持って、世に臨みたい。だからこそ、一方的な論理は用意している。
 しかし、その一方で、合理的に進めたいという怠慢さが、コミュニケーションを阻む。中途半端な対話では、分かり合うことなぞできない。そのためには、没入するくらいの時間が必要だ。いちどきに一つしかできないわたしは、そこに没入して他を失うことが怖いのだ。ああ、結局毎回ここに出る。

 しかしながら今や、伝える側に回らねばならない。発信しなければ、わたしのあるのかないのか分からない才も、意味を成さない。ようやくもって、自分を使ってもらえるかどうかの瀬戸際にある。

 そして、それは自分にとっての生きやすさとはなんだろうかという問いに繋がるのだと思う。働かざるもの喰うべからず、と親に繰り返された。しかし、その点においては今は苦しいものの、私はどこか楽観している。まあ、問いを立てていれば、いつぞや解に辿り着くだろうと。

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