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世界とは・時空とはII

 前回こう書いた。「もっと言えば、望んだものを得るとは、得られるものを満足して得るということであって、得られるものに自らを向かわせた、つまり、流れ(これは時間軸を必ず含むが)に素直に従ったからだともいえる。望んでいるものがそもそもの運命に合っていないのに、それを望んでいる時点で、夢は叶わないのだ。それは妥協的な側面もあるが、手に入らないかもしれないものをいつまでも追い求めることはどうだろうか。」
 しかし、この考え方が気に食わない自分に気付く。
 いつまでも追い求める少年であることを止めよ。それは不毛だと言いたかったのだが、果たして自分はその不毛さを受け入れているか。諦めず途方もない何かを追い求めていないだろうか。この矛盾は正直に言って辛いのである。
 「おとなの小論文教室。Lesson225 テーマと世界観」にはまさにそのことが書かれている。実は自分が具現したい何かを明確化することが容易ではない。漠として、ただ研究者になりたいとか、成果を挙げたいとか、そういうことなのである。科学研究をして思うことは、ちょっとやそっと考えただけでは、ほとんど他の人の考えに行き当たる。行き当たったとて、追い越せば良いのだろうが、先んじられれば負けではないかという恐怖感の中での選択である。明確化したつもりでも、また引き戻されるのである。
 だからこそ、その具現化を幾ら試みても何度も引き戻されるこの仕事の辛さの中に、皆生きていけるんだろうかと、お節介ながら思う。自分でさえ容易ではないこの環境を、勧めたくない自分に気付く。老いて農業をしている人々が、「こんな天候にも左右される不安定な仕事に、子供らを就けたくない」というのと、似たような思いか。つまらん教員だ。しかし、もちろん共闘しようという想いも弱々しいがある。
 私のパターンは、問い詰めて、問い詰めることだ。その結果、出てしまう先は、平凡な不可能性であることが多いように思う。だからこそ却って、根本的な問いに、絶対的とも思える不可能性の中に、自分を投げ出したい。そこで踏ん張らせてもらうことをどこかに与けたいが、それこそは自分で得なければならない。
 そうこうしているうちに、時は流れ、自らは取り残されていくのか。

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