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変な責任感からの脱却―自分を生きる?

 学生との生活ももう二年半が過ぎた。ようやく肩の力が抜けてきた感じがする。それはいつものことだ。そのくらいの時間が経たないと、新天地で生きる術を掴みきれないんだ。ただ、そういう慣れは楽なんだけど、緊張感を欠いて面白くないんだな。とはいえ、その面白さとは所詮自分と他者とを調和させるというある種のゲームで成果を挙げた、つまりは首尾よく「環境適応」する楽しさを堪能したということに過ぎないのかもしれない。そろそろそれから脱皮して、環境をうまく使って自分なりの何かをすることの楽しさに挑戦するフェーズに入ってきているのかもしれん。それもこれも、何事も経験だろうが、あんまりいろいろと経験してもさて…。

 さて、これまで肩に入っていた力とは、変な責任感である。学生諸子を如何にかせねばならないんじゃないかという気張りだ。それが解けつつあるというのが今の感じ。どうもいつも初期には気負ってしまうが、それは理想を思い描くところから入って、徐々に現実に対処するってやりかただからだ。だからこそ実際に求められている以上のことをある面で強調していたが、それは理解できていない他の側面に気がつかないため、現実の問題を実感できなかったためだ。それが時間と共に段々と見えてくるって感じだ。
 職場が変わればそれぞれの抱えている問題は違う。その問題を日々の生活の中で、少しずつ片付けていくわけだ。そして、問題が明らかになってくれば、自分自身をもう少しうまく操縦し、それを愉しみつつ解くためのより実りある豊かな生へのチャレンジが必要だろうということを更に強く感じるということになってくる。

 学生諸子は自分の求めるものの一部を手に入れるために、私を当てにしてくる存在である。しかし、学生諸子はわたしとは世代も違うし価値観も違う。そんなものをわたしが提供できる保証なんてないし、もっと言えば、彼らが求めていることが的外れだと感じることも多い。
 じゃあ、それぞれが持っている時間を自由に使ったらいいじゃないか。というより、何かを強いようとしたって、ぜんぜん通じないんだもの。発想が固いというか。より良い形を作るには、互いの意識や価値観を理解しあう必要があるはずだが、そこに共感が持てない。とにかくもってエゴであるし、人のことを汲もうという意識が欠けている。
 だから、そんな彼らが研究者として自立しようがどうしようが知ったことか。彼らが彼らで自らを生きるその運命を理解しさえすればそれでいいのだ。彼らが真に自立せねばならないときには、研究者という存在自体の価値が変わっている可能性はある。現状を見るにつけ、変わってもらわないと立ち行かない。まあ、こいつは本当に出来るやつだなというのはごく僅かながら確実にいるが、大半はねえ…。昔はその大半は自分で気付いて結構諦めていたように思うけど。

 とはいえ自立を促すのが教員の責任だというのは、今も昔も変わらないんじゃないかと思う。それはどうしてか。自立しないで生きるなんて、どんなことだ?ただ、自立の形は時代によっても変わるのだ。自立は責め言葉といわれてしまうと、ああどうしたものか。たぶん、それは自立という言葉の意味をとても限定的に捉えた結果なんだろう。
 その意味では、わたしはある型の自立を彼らに押し付けてるかも知らん。でも、教員はわずかな時間を共有するに過ぎず、親が先に死ぬように彼らの面倒なんていつまでも焼けない。しかし、それを実りあるものにしたいと思いたかった。だからこそ、私の思うスタイルを押し付けるしか手がない。それを見て自分なりの策を練って欲しいわけで。それでも、その思いはお節介なのだな。そういう雑音がうるさいなら、耳を塞ぐしかないのではないのだろうか。といいながら、そういう雑音に反応してしまう自分がいる。それって一体何なのだ。

 それって世代論なんだろうな。「おとなの小論文教室。―Lesson221 彼らの未来」には、いわゆる世代間に横たわる価値観の問題が述べられている。物分りのいいおとなとしての著者は、当初は彼らを批判し且つ指南したが、彼らに教わることも多いという。
 まあ、それはその通りで、誰も時代の価値に敏感に生きているし、各世代がある種の価値観を共有しているのは当然のことだと思う。だから、それって結局変遷する時代の価値観と自分の価値観とのすり合わせの狭間でしかないんだろう。
 楽しい老後を過ごしたければ、頑固爺にならないように若者に媚びてみるってこともあるんだろうけど、それもねえ。そんなんじゃなくて、互いに価値観を議論する価値のある人間でいたいってことかね。それは、世の中、あるいはサブカルチャーでも、そんなものを超えた自分なりの考え方ってことじゃないのか。そこにいつも立ち返れる哲学的思考が、面倒には見えても大切なものに思えてならない。

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