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自己を介した理想と現実・内面と外界の結合(2)―どちらが正しいとかじゃない

 さて、内面・外界と理性・経験、そして自律性と他律性などの対置構造の中に立たされてるわれわれが考えるべきは、それらのバランスだ。外界・経験・現実一辺倒はサルだ。かといって、イデオロギーなんて理性が経験を踏まえて(?)構築したシステムでは、所詮あらゆる現実には対処できない。だからこそ理念を押し付けず、運用でなんとかするというのが、まあ現実的な対処なわけだが、その対処だってバランスだ。っていっても、運用ってのも胡散臭いところがある。このあたりについていろいろ考えることはあるが、ここでは止めとく。

 さて、バランスとは言っても、ベストな均衡点ってのがあるわけじゃない。といって人は何かを決断せねばならないが、その選択は歴史を決める。未来に責任を負うということだ。だから、それぞれの趣味嗜好というのは当然あっていいし、それがその人のカラーになり、異なる運命を引き寄せることになる。しかし、そのことを自由に考えすぎると、微妙にバランスを欠く原因にもなりうる。実は自由に考えているんじゃなくて、大半は感性と呼ぶ人もいる過去の限られた経験からの推論を信じすぎたりしているからだ。そして、ハンガリー(2)でも述べたように、ネガティブとも取れる劣等感だって、所詮は活発に生きることと静かに生きることとの対置構造の中で出てくるものだろうから、価値観なんてよっぽど注意してみなければいけない。単なるその人の感性つまりエゴになってしまう。


 ここで話が飛ぶようで申し訳ない。完全にひっくり返ったことを言う。
 わたしには海外居住経験はないのだが、他所を見るに付け日本人は極端だなと思う。そしてそれはなぜなのだろうかという漠とした問いがある。極端な精神論で敗戦し、極端な功利主義でバブル崩壊を招いた。そして今は極端な心への傾倒である。ある新興宗教が引き起こした事件の経験にもかかわらず、未だ懲りた様子もない。そして健康ブームなのだろうか。

 なんでも追求しないと気がすまない。これは生真面目といってしまえばそれまでだが、寧ろ経験の軽視ではないかという気がする。あることが欠けているとなれば、それを修めることに必死になり、これまで培ってきた経験を無視しても没頭する。これに似たことは、新しく入ってくる学生から感じられる。経験やスキルは簡単に手に入るという無根拠な自信が彼らにある。まあ、これこそが、現代教育の結果であり、頭の中で考えただけのことの素直な現れであるのだが。

 経験の軽視は、現実への対処にも反映される。自分で考え創造することが経験を踏まえて行われなければシステムを作ることは困難になる、与えられた現実を自分なりに理解することに終始する。要るものと要らないもののバランスを欠くやりかた。場当たり的な対処。徹底的なサービス。これらは日本の産業に普遍的に見られる。
 大学に居てさえ、ここまで学生にサービスをする必要があるのだろうかと訝しくなる。私の意識は自立というそれとは別のところにあるわけだが、それが現実との乖離として、学生の信任(といってもとてもそれは表面的なものだと思っているが)の低さに繋がっている。しかし、それが現実であり、それを否定するには根拠も説得も必要だが、私自身、現代の価値観を完全には捉え切れていない。
 これは役割分担の中で意義がある。国際的な役割分担の中にわれわれは生きている。自給自足が出来ないのに、工業産品で利益を上げ、それで飯を食う。基本を外部に依存しているから、強いことがいえない。もちろん、これらは歴史的文脈で捉えられるべき問題であり。直ちにそれを批判するだけに終わるつまらない議論を展開する意図は無い。
 ところで、この極端さは刹那的なビジョンに身を委ねることに不安がない、いや寧ろ長期的なビジョンへの不安の裏返しなのだろうか。誰も何もしなくても生きていけるとは思っていない。ただ、その「何か」が、それほど生きることへの重みを持っていない。

 輸入文化への晒され方や気候風土などの要因もあるだろうから、この重みの軽重は国内でも地域格差があるとは思う。そして、オリジナルの考え方などという大して根拠のない何かを相変わらず求めている側面があるものの、宗教のような方便を便利に使いつつも、そこに身を委ねることはもうできない。


 経験への無批判な信奉と、経験の軽視という矛盾を抱えつつ、我々は現在ここにある。そこでは、ある種の思考停止をしなければ、現世で喜びを手に入れることはできないんじゃないかという諦めに繋がるのかもしれない。さあ、どう考えたら良いのだろう。

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