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自己を介した理想と現実・内面と外界の結合(1)―宗教

 内面を探っても、外に向かっても、最終的な出口は一緒なのかもしれない。その2つの生き様は、人間がとりうる方向性を示している。内を掘って外に出る。あるいは、外を探検して内に還る。その結果として自己と世界の認識が深まるのであろう。とはいえ、一人の人間がその両方の戦略をとることは、若いときには特に難しい。

 誤読を恐れずに言えば、その内向性と外向性が宗教に反映され、神秘教と神霊教ができたというのは、佐保田鶴治博士の言である。基本はその二つなのだろう。そして、自分の内面・外面の動きを霊的(Spiritual)なものとして捉え、自己啓発につなげていく。これがニューエイジとか新霊性運動とか呼ばれる現代的な流れの一つであり、それを受け入れるかどうかに関わらず、そんな中に我々はいる。現世利益を自律的に希求していく現代に生きるわれわれがそれを受け入れ、古い宗教を押し付けと感じるようになったのには、現代の自由主義も無関係ではないだろう。

 ところで、自主性・自立性を強調すれば、大乗的な他力本願は否定される。伝統的な仏教が衰弱しているのには、この問題があるのだろう。生きることが当たり前になったと勘違いされやすい現代においては、限定的な意味では既に救われているのだ。このことは、上座部(いわゆる小乗)が過去に否定的に捉えられたことと対照的である。釈迦がいいところのボンだったことを考えれば、現代の豊かさと行き届いた教育によって皆が釈迦になる可能性を持ったということなのだろうな。
 しかし、わたしにはよくわからない。禅の主流は大乗禅であるという記述が。ただ、わたしにはそんなことはどうでもいいのだ。結局、自分の望むもの(それを人にわかるように説明せよといわれても大変困る)に素直に生きているだけだ。

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