« August 2004 | Main | October 2004 »

自己を介した理想と現実・内面と外界の結合(2)―どちらが正しいとかじゃない

 さて、内面・外界と理性・経験、そして自律性と他律性などの対置構造の中に立たされてるわれわれが考えるべきは、それらのバランスだ。外界・経験・現実一辺倒はサルだ。かといって、イデオロギーなんて理性が経験を踏まえて(?)構築したシステムでは、所詮あらゆる現実には対処できない。だからこそ理念を押し付けず、運用でなんとかするというのが、まあ現実的な対処なわけだが、その対処だってバランスだ。っていっても、運用ってのも胡散臭いところがある。このあたりについていろいろ考えることはあるが、ここでは止めとく。

 さて、バランスとは言っても、ベストな均衡点ってのがあるわけじゃない。といって人は何かを決断せねばならないが、その選択は歴史を決める。未来に責任を負うということだ。だから、それぞれの趣味嗜好というのは当然あっていいし、それがその人のカラーになり、異なる運命を引き寄せることになる。しかし、そのことを自由に考えすぎると、微妙にバランスを欠く原因にもなりうる。実は自由に考えているんじゃなくて、大半は感性と呼ぶ人もいる過去の限られた経験からの推論を信じすぎたりしているからだ。そして、ハンガリー(2)でも述べたように、ネガティブとも取れる劣等感だって、所詮は活発に生きることと静かに生きることとの対置構造の中で出てくるものだろうから、価値観なんてよっぽど注意してみなければいけない。単なるその人の感性つまりエゴになってしまう。


 ここで話が飛ぶようで申し訳ない。完全にひっくり返ったことを言う。
 わたしには海外居住経験はないのだが、他所を見るに付け日本人は極端だなと思う。そしてそれはなぜなのだろうかという漠とした問いがある。極端な精神論で敗戦し、極端な功利主義でバブル崩壊を招いた。そして今は極端な心への傾倒である。ある新興宗教が引き起こした事件の経験にもかかわらず、未だ懲りた様子もない。そして健康ブームなのだろうか。

 なんでも追求しないと気がすまない。これは生真面目といってしまえばそれまでだが、寧ろ経験の軽視ではないかという気がする。あることが欠けているとなれば、それを修めることに必死になり、これまで培ってきた経験を無視しても没頭する。これに似たことは、新しく入ってくる学生から感じられる。経験やスキルは簡単に手に入るという無根拠な自信が彼らにある。まあ、これこそが、現代教育の結果であり、頭の中で考えただけのことの素直な現れであるのだが。

 経験の軽視は、現実への対処にも反映される。自分で考え創造することが経験を踏まえて行われなければシステムを作ることは困難になる、与えられた現実を自分なりに理解することに終始する。要るものと要らないもののバランスを欠くやりかた。場当たり的な対処。徹底的なサービス。これらは日本の産業に普遍的に見られる。
 大学に居てさえ、ここまで学生にサービスをする必要があるのだろうかと訝しくなる。私の意識は自立というそれとは別のところにあるわけだが、それが現実との乖離として、学生の信任(といってもとてもそれは表面的なものだと思っているが)の低さに繋がっている。しかし、それが現実であり、それを否定するには根拠も説得も必要だが、私自身、現代の価値観を完全には捉え切れていない。
 これは役割分担の中で意義がある。国際的な役割分担の中にわれわれは生きている。自給自足が出来ないのに、工業産品で利益を上げ、それで飯を食う。基本を外部に依存しているから、強いことがいえない。もちろん、これらは歴史的文脈で捉えられるべき問題であり。直ちにそれを批判するだけに終わるつまらない議論を展開する意図は無い。
 ところで、この極端さは刹那的なビジョンに身を委ねることに不安がない、いや寧ろ長期的なビジョンへの不安の裏返しなのだろうか。誰も何もしなくても生きていけるとは思っていない。ただ、その「何か」が、それほど生きることへの重みを持っていない。

 輸入文化への晒され方や気候風土などの要因もあるだろうから、この重みの軽重は国内でも地域格差があるとは思う。そして、オリジナルの考え方などという大して根拠のない何かを相変わらず求めている側面があるものの、宗教のような方便を便利に使いつつも、そこに身を委ねることはもうできない。


 経験への無批判な信奉と、経験の軽視という矛盾を抱えつつ、我々は現在ここにある。そこでは、ある種の思考停止をしなければ、現世で喜びを手に入れることはできないんじゃないかという諦めに繋がるのかもしれない。さあ、どう考えたら良いのだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

自己を介した理想と現実・内面と外界の結合(1)―宗教

 内面を探っても、外に向かっても、最終的な出口は一緒なのかもしれない。その2つの生き様は、人間がとりうる方向性を示している。内を掘って外に出る。あるいは、外を探検して内に還る。その結果として自己と世界の認識が深まるのであろう。とはいえ、一人の人間がその両方の戦略をとることは、若いときには特に難しい。

 誤読を恐れずに言えば、その内向性と外向性が宗教に反映され、神秘教と神霊教ができたというのは、佐保田鶴治博士の言である。基本はその二つなのだろう。そして、自分の内面・外面の動きを霊的(Spiritual)なものとして捉え、自己啓発につなげていく。これがニューエイジとか新霊性運動とか呼ばれる現代的な流れの一つであり、それを受け入れるかどうかに関わらず、そんな中に我々はいる。現世利益を自律的に希求していく現代に生きるわれわれがそれを受け入れ、古い宗教を押し付けと感じるようになったのには、現代の自由主義も無関係ではないだろう。

 ところで、自主性・自立性を強調すれば、大乗的な他力本願は否定される。伝統的な仏教が衰弱しているのには、この問題があるのだろう。生きることが当たり前になったと勘違いされやすい現代においては、限定的な意味では既に救われているのだ。このことは、上座部(いわゆる小乗)が過去に否定的に捉えられたことと対照的である。釈迦がいいところのボンだったことを考えれば、現代の豊かさと行き届いた教育によって皆が釈迦になる可能性を持ったということなのだろうな。
 しかし、わたしにはよくわからない。禅の主流は大乗禅であるという記述が。ただ、わたしにはそんなことはどうでもいいのだ。結局、自分の望むもの(それを人にわかるように説明せよといわれても大変困る)に素直に生きているだけだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

少々疲れ気味です

 ハンガリー・姫路・東海村・浜名湖・会津

 以上、この一ヶ月に行ったところ。月末には西播磨が待っている。Blogの更新も全くはかどらない。思うこともないまま、現実への対処が迫られる。まあ、観光しているだけだったりするんだけれど…。
 でも、ちっとくたびれましたね。落ち着いて仕事に励まねば。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハンガリー(その3)―真意なぞ伝わらないが互いに生きている

 英語がへたくそだからいけないのか。いや、下手だからこそ感じることが出来ることがある。真意なんて伝わらなくたって生きていけるし、楽しめるように思えた。
 これまでは、真意が伝わらないことを恐れ、そしてそこから生じる誤解に敏感になっていたから、海外に行って意思疎通が充分に出来ないことを当たり前に思うようになった自分が不思議に思える。まあ、自分が宇宙人なのか、相手がそうなのか。今は学生に鍛えられているというのもあるが。

 まあ、海外の観光地での話なんて、金を出しているからだって言い方もあるだろう。確かに、黙ってても客が来る店の店員や空港の職員なんてのは、愛想を振りまかなくたって飯が食える。だから、彼らは真意が伝わらないと簡単に憮然とする。

 真意が関係ないといえば、強い態度で出れば相手が折れることもある。相手に自信がないときは、それが奏功する。あとは駆け引きか。自分が正論と思えばそれで押し、相手が折れるとその行為にますます自信を深める。そんな繰り返しも、先達と同じことをしていれば不安がないし、歳を重ねれば知らずとついた立場が補強してくれるんだろう。反省もなく…。

 意思疎通も損得勘定の中で考えられるものなのだとすれば、それも納得できる。世間一般がそう考えるなら、どうでもいい人は切っていかないといけないのか。

 「草枕」の冒頭の一節を思い出し、どこで勝負すべきかを思う。有利に戦えるところ以外から逃げておきながらの強弁は嫌なのだけれどね。まあ、それを役割分担というらしい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハンガリー(その2)―中央でないということ

 これまで旅した欧州の国々は、France (Paris, Grenoble), Swiss (Geneve), England (London)で、いわば西側の進んだ国々のそれも首都級の街である(まあ、Grenobleはちょっと違うか)。また、それ以外で行った国はUSA (Chicago, Hawaii島)とChina (Beijing)だ。
 今回、Hungary (Budapest), Croatia (Zagreb)という欧州の田舎町を訪れた。乏しい海外旅行の経験からの印象は、これまでとは大きく異なっていた。

 いまやそんなものはないという向きもあろうが、日本人の白人に対する劣等感がある。平たく言えば、それは田舎者の都会人に対する劣等感だったのかもしれない。となれば欧州の中央に対する周辺の劣等感もまた然りであろう。Budapestを初めて訪れたときの印象が、やはりこうした優越・劣等と無縁でないことは、その1に書いた文章から臭ってくるだろう。自分の中にある自己卑下や劣等感は、そうしたものと共鳴し、安堵や気持ちよさとして感じられるのかもしれない。

 こうしたえもいわれぬ感覚・感情はどこから来るのか。人生を穏やかに過ごしたいという欲求と、人に評価されたいという欲求とがある。これらは、適当な諦念と混ざり合って、適当な位置を見出す。そして、自分の歩むべき道を選択するということだ。しかし改めて思うのは、飛行機で何時間飛んでも、そこに人は住んでいて、そこで自信に満ちた人と打ちひしがれた人を見ることが出来るということだ。

 日本人のやり方というのは、ブームを巻き起こして一気に関心を集め、採算ベースに乗せ、常態化するということなのかもしれない。新しいものには金がかかる。それが定着するかどうかは、そのブームに見合った本質があるかどうかになるわけだが、高くても新しくて良いから欲しいというよりよいものを求める人間の本性の一部を引き出すということである。諦めずに常に動いていようと。その減価償却分を引き受けるから物価は高くなる。それを住みにくいと言っちゃうと、ああそれは降りるということなのね、となる。
 そんな風に諦めないことを強いれば、それを辛いといってくたびれてしまう人が居る。人が集まればそういう人もいる。評価される者の背景には、評価されない者がいる。その意味で日本の社会はストレスフルだろう。しかし、そういって癒しを求める彼らが前提にしているのは、この便利な世の中だったりする。田舎に隠居することを潔しとしないくせに、社会に押し付けようというのだ。まあ、スローライフなぞといっている人もいるし、それに共鳴できるけど。ただ、現実とはそういうものじゃなく、確実に今あるものを指している。

 刺激の多い忙しい街では疲れ、穏やかな町では刺激が恋しくなる。そんなバランスにわれわれは生きているんだろうし、こうした旅行も非日常だから楽しいのだ。現実に続いていく嬉しさは日常の中から意外さを引き出すところにあるのであって、非日常のなかで見つけた偶然ではない。まあ、その偶然を日常にひきつけられれば良いと思うが。旅の面白さは、新しいところに行くということもあるが、それよりもそんな日常と非日常の狭間を行ったり来たりして、日常を見つめなおすところにあるのかもしれない。それは、日常から切り離されてこそできる経験なのだろう。

 話は変わるが、Budapestの女性は愛嬌があって私好みだ。ゲルマン人のごつごつした彫刻のような顔や黒人たちの精悍さの美も分からないではないが、田舎者の劣等感も含めて人間くさくていい。Ferihegy空港でハンガリー人と思しき美しい女性が私の方を見ていた。変な東洋人が水とチョコレート(これは私が食うためじゃない)を買っているのを滑稽に思ったのだろう。目が合うと笑顔になったが、こちらも笑顔で返した。それだけで良い気分になるのだから、私も怪しいものだ。
 ところで、街を行き来するなかで、そんな彼女らに好感を持ったところでどうにかなることなんてないだろうと思うから、気持悪いと思われてもまじまじと眺めることに躊躇がない。これはある意味、日本のおじさんおばさんらと変わらない心境なのだろう。見たいものは見る。しかし、下着が透けた白いパンツをはいた女性は、お尻の形がくっきりとしていて参ったが…。ってちゃんと見ているが。
 ただ、この種の緊張感から降りちゃうことは、自らの美からは遠くなっていくのだろう。逆は真ならずとはいえ、それから降りなければ、(性的な?)魅力は維持できるということなのかもしれない。であるなら、カマトトぶるということは、頑張っているということなのだろうか。

 このことは、仕事に対する緊張感などとも全て繋がっている。この辺にしとこうと思うと、楽だし楽しい。ただ、それでは、自分の目指す美には到達できない。まあ、現実を見ずに出来もしない理想を掲げているのも辛いことだが。そんなとりとめのないことを感じた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

ハンガリー(その1)―備忘録

 ハンガリーは以前から興味がある国だった。「ヨーロッパに投げられたアジアの石」とも言われるこの国は、アジア系民族が移民して出来た。ラテンはともかくゲルマン人が世界を牛耳っているように思える昨今、その中核の欧州にあって、アジア系であるということへの親近感がそうさせていたのかもしれない。
 そこにたまたまブダペストで国際会議が開かれるという。わくわくしながらの出発だった。

 成田からAlitaliaでミラノ経由、Marev Hungarian AirlineでBudapestには深夜に到着。疲れているうえに、気圧のせいで飛行機から降りるとしばらく耳が慣れないわたしのせいなのだろうが、英語がよく聞き取れない。ふてくされた入国審査とAirport Minibusのお姉ちゃん。帰りチェックインカウンターのおばさんも似たようなもんだったが、空港での印象はあまりよくない。まあだいたいどこもそんなもんだが、そういえば両替所もそうだった。ここで30,000円だして、53,336HUF (Hungarian Forint)にしてもらう。空港から一律料金のバスは、乗客8名を乗せ、順繰りに宿を巡る。夜は暗くて市街の雰囲気がわからなかったが、これまでに訪れた西欧の諸都市とは違い、雑多で洗練されていない印象。もっと悪く言えば、古臭い感じ。1時間くらいしてようやく宿に落ち着いた。

 初日は、すぐにメトロの切符売り場で一週間券を買う。そのまま、市街中心部から30分ほどかかる会場の大学へ。陽光の下で見る風景は、やはり古い都市だなという感じ。トラムも年季が入っている。そして、出勤時間帯の割にはあまり活気があるようには見えない。
 ドナウの河岸にある大学は、新しい建物が多くあり、立派なものだった。研究会の内容については別途どこかで。今回は自分の発表もない気楽さなので、ここの魅力に気付くためにも時間を確保したくて、聞きたい講演を選別して有効に時間を使いたいと思った。どうもどの日も午前中の講演に私の関心が集中しているようなので、そこを重点的に聞き、午後は市内を散策することにした。
 まず会場まで使うトラムを両端まで行ったり来たり。Moszkva terの近所の専門店街で、いつもの通り道路地図を買う。わたしにとってのお土産みたいなものだ。そして、宿の近所のSPARでビール2本とスナック菓子を。宿に戻り、それらを飲み喰いしてこれからを算段。夜は何にしようかと思っているうち、Tokajiのワイン(AszuではなくてSzamorodniのDry)をつい開けたら、おいしくて気分がよくなり、疲れていたのかすぐに寝てしまった。

 二日目は、やはりまず会場で午前中の講演を聴く。午後は抜け出して市内散策へ。夕方から城の教会でコンサートがある。そこに間に合うようにふらふらした。Tram.4からOktogonでMetro.1に乗り換える。世界で二番目に古いそれは、トラムが地下に潜ったみたいで、ミニ地下鉄といった感じ。そのまま終点の英雄広場まで。なにかパレードをするらしく人込みに紛れる。その後、宿周辺まで戻り、ドナウ川近所のレストランで遅い昼食を。Paprikaで煮込んだ牛のプレート。ブラウンビール(銘柄は不明)と一緒に頂いたが、腹は膨れ満足に。そのままMoszkva terから城内を行くバスに乗り、Matyas templomでのListzのコンサートを聞きに行く。早めについたので、王宮の丘を散策する。帰りに食事をしようか迷ったが、腹もこなれないので、そのまま帰って休んだ。

 三日目も午前中は講演を聞き、午後は抜け出した。ただ今日は日曜。店も閉まっていて、どこかにいく当てもない。Nepstadionのバスターミナルへ行き、出かけるのにめぼしい場所がないか見るが、思い当たらない。それならObudaのAquincumの遺跡でも行ってみるか。Tram.1でArpad橋を越えて、HEVのArpad hid駅へ。近くの小さな教会で鐘の音を聞く。これが悪かったか電車の時間が合わないので、駅の地図でAquincum方向に行くバス便を探す。わかんなくても帰って来れるだろうと、適当にBusz.42に乗る。どこで降りるか分からないまま、案の定、降車のタイミングを逃す。途中、道の悪い住宅地を通って、終点のHEVの駅へ。めぼしい店がなく昼飯も食う気がしない。仕方がないので、着いたバスでもと来たルートを戻る。今度は降りることが出来、遺跡へ。入場料は700HUFほど。一通り見て、バスでArpad hidへ。駅でビールを飲んで、昼飯に代える。疲れたからTram.1-Tram.17-Tram.4で宿周辺まで戻り、昼飯を食ったレストランで晩飯。今度はしっかり食べようと、白ワインにGulyasスープと七面鳥にフォアグラをつめたフライを。おいしい食事にそれなりの分量。満足したので、そのまま宿に帰って寝た。

 四日目は会合には出ないことにしたが、夕方からドナウを巡る船での夕食が用意されている。午前中は明日と帰りを気にして、空港までMinibuszを使わないルートを確認するためMetroとバスで行く。Ferihegy空港の出発ターミナルを確認して一安心。早朝は4:40にNyugati Pu.発のメトロがあるから、大丈夫だろう。続いてみやげ物を買うためKalvin ter駅まで戻り、中央市場にてTokajiワインとPaprikaの粉などを購入。
 昼過ぎにお目当ての列車に乗ろうと、西駅からMAV(ハンガリー国鉄)でCegled経由でKecskemetへ。電車で1時間半ほどの旅。往復で2,188HUFほど。ぎりぎりに行ったら、どのコンパートメントも空席はない。ビールを買い込んだが、仕方なく通路で外を眺めることに。イタリア人と思しき旅行者が、指定席はどこか英語で聞いてきた。運賃しか払っていない私には分からない。悪いけど分からんと言うと、重い荷物を引き摺って駅員のところまで聞きに言ったようだ。定刻に列車は出発。乗り過ごしたらいかんと思い、緊張しながら車窓を眺める。町を出るとプスタに広がる田園風景が延々と続く。
 Kecskemetに着くが、月曜は運が悪く多くの博物館・美術館が休業。広場のベンチで作戦を練るが、いつもの通りとにかく歩き回ることにする。喉が渇いたのでカフェバーに行くが、看板のビールは今切らしているという。仕方なく白ワインを頼むがそれでは足りず、わけの分からないまま頼んだ飲み物は、どう見ても栄養ドリンク。疲れていたから還ってよかったが…。街に戻って、スーパーで帰りの電車で飲むものを買う。Tokajiのワインが中央市場で買うよりかなり安いのを知り、もう1本追加。あとビールとパンとフォアグラのパテを買い列車に乗り込んだ。遅れた列車の待ち合わせなのか、30分以上遅れて西駅に到着。そこから歩いて一旦宿に戻る。
 歩きすぎで足にマメが出来、痛いことこの上ない。少し休憩して、Batthyani ter付近から出る船での食事。セルフサービスで少しがっかりするが、テーブルで同席したクロアチア人女性と話をする機会が出来る。日本に来たことがあるらしい。2時間ほどのディナーを終え、少し喰い足りなかったので、宿で昼に買ったパンとパテでワインを飲む。

 五日目は学生諸子とレンタカーでなんとCroatiaの首都Zagrebまで往復10時間のドライブ。Metro.3で終点のKobanya-Kispestまで行き、そこからReputer-BuszでFerihegy 2まで1時間くらい。Avisのレンタカーで、地図を持っている私はナビ役。混雑する市内を抜けて高速でBalaton湖の町までいけるが、そこから国境までは下の道しかない。その間、ガス入りミネラルウォーター1リットルを高速のサービスエリアで買い込み、この苦手な水になじんでみようと試みた。スナック菓子とあわせてしばらく飲んでいたら、これが悪くない。彼らは日常的に飲んでいるんだから、そうなるのが当たり前だと思いつつ、ここまで変わるものか。帰国してからも飲みたいけど、手に入れるのは容易じゃないだろうな。
 なんてやっているうちに、国境のLetenyeからCroatiaのGoricanに入国。入国審査の"Declere"の単語にすぐに気付かず、なんかいろいろチェックされる。まあ、車での入国は初めてだから仕方ないか。ここからはきれいな高速道路で首都まで。ただ、郊外にたどり着くも、Croatiaの地図はもってない。Hungaryと違って、あまり丁寧な案内板標記がない。まあ、大学生の頃の第二外国語はロシア語だったが、南スラブ系の言語であるCroatia語を解釈出来るはずもなく。というより、ここの言語がどこに近いのか、正直最初は分からなかった。ともかく、トラムの進む方向を頼りにどうにか駅近くまではやって来れた。ふと見つけた古本屋で道路地図を買い、中央駅周辺へたどり着くころには夕刻になっていた。
 さて、散策と買い物を。Euroは日本で両替して少し持ってきたが、ここの通貨はKuna(Kn)というらしい。Euroは高速代の支払いには使えたが、古本屋は駄目だった。両替所かとも思ったが、使った経験のない国際ATMを試してみよう。不安ながら機械ならぼらないだろうと、駅のATMに突っ込んでみた。新生銀行のカードはPlusに対応している。無事あっさりと500Kn(=9,264円)が出てきた。(帰国後、ネットで調べると相性とかあってそんなに簡単じゃないみたいだが、米国とは違ってヨーロッパでは手数料が安くていい換金手段みたい。今後は両替して持っていかなくてもいいかも。)
 遅い昼飯をとレストランを探すが、「地球の歩き方・中欧」にある店がない。まあ、5年前に中欧を知りたくて買ったものだから仕方がない。ともかくも散策しながらの印象は、旧ユーゴのここも国内事情はかなり安定している印象がある。ただ、天候が悪かったせいか、Budapestとは比較にならないくらいぱっとしない街だと思った。本当は見所もあるのだろうし、海岸沿いの街はもっと違った印象かもしれない。
 ようやく見つけたこじゃれたレストランでリーキのスープとラム肉のソテーを食う。まあ、悪くはないが、とてもいいというわけでもない。が、いい値段だった。愛想のいいお姉さんが救いで、彼女に礼を言い、時間がないから早めに退散する。もうレンタカー屋の閉店時間の9時には間に合わないし、早くしないと深夜になるのは分かりながら、もう諦めモード。駅地下のショッピングモールで時間をつぶす。ここの国の本屋は自由に立ち読みが出来ないのか、店員が書棚の前に立って客の注文を聞いている。なんだか買いにくいし、お金も限られていたので、駅前の露店で古本じゃない地図を買った。やっぱり客相手にはみんな愛想がいい。すっかり感心して、Zagrebを後にする。
 しかし地図の見方が分かりにくい。二度ほど違う道に出て失敗するも、どうにかこうにか高速へ。結局、Budapestに辿り着いたのは深夜になった。Balaton湖で淡水魚の料理をとも思ったが、またの機会を期待する。

 六日目。朝7時半のMilan行きの便に間に合わせるため、朝一のMetroに乗る。昨日0時ごろ着いたので、4時に起きるのは半分諦めたから、ほとんど寝ていない。寝ていたホテルマンを起こして清算。毎晩のメールチェックとビールかワインを冷蔵庫から出したから、4,000円ほど追加料金を取られるが、まあ6泊ならこんなものか。とはいえ、ハンガリーの物価は年々上昇しているらしい。通貨統合が済むと、一気に割安感がなくなるかもしれない。
 寝ぼけ眼で駅が開くのを待ちMetro.3に乗るが、朝というのに人が多い。夜歩いている人が少ないのに比べ、意外だった。5.30頃空港着。Marevのカウンターでチェックインを済ませ、Milanに向かった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« August 2004 | Main | October 2004 »