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だんだんくたびれてきた

 学生たちへの不満を書き連ねてきた(本当は不満じゃなくて期待なんだけど)が、だんだんそれに飽きてきた。

 こんなことを書いても、彼らはすぐに変わるわけじゃないし、ましてや私の言葉を背景も含めて理解してくれている人は少ないだろう。これは意味があるんだろうか。そんな仕事になじめない。諦めを自分に押し付けねばならない現実はとても辛いものだ。だからこそ、自分を鼓舞するためにも、このはけ口としても、ここに期待を込めて書いていた。でも、そんなことばかり書いているから、人気がないんだとある人に言われた。それはわかる。これは苦言だから、彼らにとってうれしくないのは当然だろう。でも、それでいいのか。それを取り除いて、仲良しグループにすればいいのだろうか。

 今一度、前任地での仕事の楽しさはどこにあったかを考え直してみた。締め切りに追われたり、ノルマがあったり。これらは辛いとは思いながらも、生活にメリハリをつける大切なものだったと思う。「おとなの小論文教室。Lesson208 人を生かす――勉強?それとも仕事?(6)」を読んでいて、まさにそう思った。日々の仕事の緊張感は、確かに肉体的にも精神的にもきついが、充実感を与えてくれる。

 それが今ではどうだろう。成果を挙げて、人に喜んでもらう。そういう関係を互いに構築したいわけだが、それはできていない。エゴが蔓延する。さらに、約束が反故にされたりするのが平気な日常。これが当たり前になってくると、さすがにやる気も失せる。そのことに当初は違和感があった。しかし気がつけば着実にそれに慣らされてしまう。着任当時は、一生懸命厳しく生きることの楽しさを教えられたらと思ったのだが、今は昔。まだ3年も経っていないのにね。これから頑張ったらどうにかできるだろうか。

 「おとなの小論文教室。」の山田ズーニーさんは、最近の若者たちに期待を込めて語っている。しかし、この言葉が通じない人たちにどうやって伝えるのか。教員は一体何のために居るんだろうか。益々わからなくなってくる。そんな現実を前にしても、へこたれず、ぼちぼちとやっていくことが大切なんだろうけど。結局、教員、延いては社会に甘えているんだよね。楽しければいいだろうって?なんだか虚しい。それが教員の意味だとしたら、社会の期待もわかろうものだ…。

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