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科学することの意味って

 自然科学の研究者が血眼になっていること。ここにも書かれていたが、「モデル化+数量化=対象操作可能」の実証であり、その試みである。以前、操作、つまり何かを自分の思い通りにすることについて、ここだけでなく、そこここに書いたが、要するにそういうことだ。

 これまでそんな操作可能性の拡大を目指す研究に没頭してきたが、なんだか虚しさに包まれつつある。没頭しつつも、このことを疑わしくは思っていた。私の中では、モデル化・数量化に関心はあっても、それは操作したいからだということに一直線には行かない。とはいえ、社会での生きやすさに憧れ、そんな研究に盲信できるかのように振舞える人を羨ましくも思ったこともある。
 でも、これって本当に楽しいことなのか。逆に言えば、操作不可能な対象を周囲から遠ざけ、思い通りになるものばかりに囲まれたいという思いじゃないのか。人や自然を避け、人工物で自らを包むこの操作が。もちろん、遠ざけることに不安と後ろめたさがあるからこそ、新たに操れる対象を獲得したいという欲求の下で、ほかに選択肢もなくモデル化と数値化に還ってくる。

 そうやって頑張ったとしても、最終的に残る避けがたい人との係わりにおいて、この路線で進める限りにおいては、他者を操るか、自らを操るか。前者なら政治だし、後者なら悟りだとでもいうのだろうか。政治もモデル化だし数値化でもあろう。それでは悟りは…。

 そこまで往っちゃうと、後は死だって?
 そんなのに騙されるか。まだまだ愉しみはあるはずだ。わたしが試みていない愉しみが。

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