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いやな法則考

 いやな法則を読んでいて思った。

 学部長の先生も言っていたが、学生が自分で思いつくように彼らの考えを間接的に誘導すること、それができたら、彼らは生き生きと仕事をする。

 正直言って、わたしはそんな境地にはまだまだ達していない。だから、アドバイスとして、思いつくことを彼らに自慢げにしゃべってしまう。そうやって先生に言われた瞬間に、楽しい研究が「やらなければいけないこと」になってしまう。この法則によれば、「楽しくない」ことである。

 日本人にはどうも、開眼するための修行とか体育会系の修練とかそういうノリで、物事に当たろうとする傾向があるのではないか。わたしは多分人間的に古くて、いろんなサイトで精神年齢を測ると、5-10歳は年長になる。それは何を意味するか。封建的で「斯くあらねばならぬ、働かざるもの喰うべからず」の世界にどっぷりつかっていることを示しているんじゃないか。
 それから逃れて自由にものを考えたいと思って研究者になったはずなのに、もともとの私の根にある考えが成果をもたらすと、そこに引き戻されるのだ。
 それに対して、今の学生たちは、就職なんて出来なくても喰えると思っているのかもしれない。博士の就職率6割。それを覚悟しているのだろう。それならそれで、わたしも気が楽だ。一生懸命やってくれなくても、こちらがなにも手を下すことはない。まあ、自立こそが教育の目的であると大村はま先生も書いていたが、自立以前の問題だし、これまでの意味で自立しなくても喰えるんだったらそれは新しい自立なのかもしれない。まあ、これはちょっと言いすぎか。ただ、封建的な感覚がかなり薄らいでいるようには思う。あるいは、体裁だけ体育会系になっているのではないか。

 楽しいからといって懸命にやる仕事は、確かに効率的で、良い出来だったりする。でも、それだけが仕事じゃない。昨日も書いたが、しなければいけない仕事にこそ、生きるために本質的な内容が含まれていることが多い。
 だから、あんまりにも楽しいのも、その分誰が楽しくない想いをしている可能性がある。それって、ずるいなって思う。まあ、社会や世代の感覚としてどちら側に振れているかっていう側面はあると思うし、やはり「恒産なくして恒心なし」なのでもある。

 この法則は考えるべき問題をいろいろ含んでいそうだ。また、これについて書くこともあるだろう。

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