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なんのために日々汲々としているのか

 今のわたしは教員向きじゃないなと日々思う。
 人を凹ますことばっかり。自分も凹むから、おあいこだと思って苦言ばかり。

 もともとはこんな子じゃなかった。親に生かされている頃、給料を貰わない頃。自分が生かされていることを自覚していたから、勝手なことは出来ないと思っていた。人にも優しかったように思う。

 給料を貰い始めた頃。とても辛かった。自分にその価値があると思えなかった。何かを成せるわけじゃないことは自覚していた。今後の私に投資してくれているんだと思ったから、まだ謙虚だったと思う。

 それが人から評価され始めたら、安易に自分の価値に安心できるようになった。つまり、傲岸になった。

 教員になったら、学生諸子は自分の下に入る。あたりまえだ。経験がないんだから。そこに自分の経験を振りかざして、不遜になる。


 研究を進めたい。成果を挙げたい。そういう気持ちは強くある。
 大学なのに研究を進めたいなんていうのは、ちょっと違うんじゃないかと思わないでもないが、どうなのだろう。

 研究なんて、社会から見たら、おまけみたいなものかもしれない。癌の克服に役立つかもしれない研究。それって、おまけの人生を与えてくれるかもしれないなあという意味において関心があるだけだ。


 一体なんのためにわれわれは生きているんだろう。いい仕事をすれば、確かに周囲は喜ぶ。いや、周囲が喜びそうな仕事ばかりしようとする。それって、確かに大事なんだろうけど。
 経済活動が肥大して、人生における付加的な価値がとても大きなものになってきてしまっているのはなぜ?

 この疑問を掴まえない限り、教員なんてやっていたらばちあたりのように思う。すっと答えが出せないまま、降りるのが怖くて頑張るしかないってところが原因なんだろうが…。

 いずれにしても、出来る人は頑張っちゃってください。そのことは間違いなく素晴らしいことです。それによって人を傷つけるとしても、それが本望じゃないとしても、それも世の中なんでしょう。そこの狭間で、私はいつもいつも悩まされるけど、多分いつか取り戻せるんだと思う。そうじゃなかったら人間として意味はない。何がしかの影響を与え合える存在であり続ける。それって、価値が多様化したからこそ享受できるんだろう…。

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