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意識から無意識への差し戻し

 自分の無意識を意識の俎板に載せろと書いてきた。しかし、ありとあらゆるものを意識に上せ続けるのは、あまり現実的ではない。意識し続けるということはしんどいから、完璧には出来ず、限定的になってしまう。

 さて、どうするのか。どうもしなくていい。完璧でなくていい。必要を感じたそのときに頑張って、一旦意識に載せてしまえばいい。確かに、意識に載せるための手続きは言語化であり、それほど容易ではない。しかし、一度載ってしまうと、言葉を頼りにいつでも無意識から引き出すことが出来るから。

 そして、意外なことに、意識されず言語化されていなかった未分化な頃とは違って、一度意識化された無意識は、放っておいても時間が分析を進めてくれていることがある。バートランド・ラッセル卿が、無意識の大切さをある本で説いていた。それは、まさにこの話であり、自分の確信を強めたところである。

 言葉になりにくいことを言葉にするということは、分析の端緒である。これができると、その後の経験がもたらす言語的な意味の深化に伴って、他の事々への波及効果が表れてくる。つまり、それまで自分の経験の少なさから限定的にしか捉えられなかった「A」という語なり事象なりの意味が、他の事々との関連性が強化され、広がっていくのだ。
 これは連鎖的に起こるだろうことは容易に想像がつく。新しい意味が入ってくると、次々と関連事項に意味の拡張を求める。そうやって、ある事に対する理解がある時期に一気に深まるという経験に繋がっていく。そのことは、多分クーンはそんなことは言っていなかったと思うが、大橋力先生の言う「パラダイム」の意味とはちょっと違ってくる。つまり、あるところで理解の深まりが停滞するのではなくて、あるところからまた一気に相互関連が進み、新しい認識へ踏み込めるようになるのだろうということである。

 最近行っている講義と、とある先生の講演に触発され、量子力学を理解しなおしてみようと思い立った。学部当時に作ったノートを読み返すと、そこには不完全ながら、古典力学から量子力学への橋渡しの理論が丁寧に書かれていた。ある程度はそのときに理解したつもりであったが、完全に腑に落ちたわけではない。それに比べれば、なにもしてなかったとはいえ、今のわたしは当時よりはもっと深く理解できていると、読み返して感じた。

 他にも、熱統計力学から非平衡の理論への展開や数学基礎論など、ずっと気になっていることがある。それらは学部の頃、よく自習していたものだが、必ずしも身になっているわけではない。ただ、この手入れを時々繰り返していれば、着実に理解が深まるだろうと想像できる。

 諦めず、丁寧に繰り返していく。そのことによって、そんな生き様の反映として、自分の理解が深まっていくということ、まさにそのことである。何事も横着せず、着実に進めたいものだ。

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