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君たちの望み

 君たちが望むのはなんだ。

 現実に圧倒されていても、負けたような素振りは見せたくない。
 だから訳知ったような振る舞い。あまりにも現実的過ぎて、もう大人しくなってしまっているんじゃないのか。

 分かっていればそれで安心。恐れは遠のく。ああよかった。

 その場凌ぎの安易な方法。できなければ回避して、安直な方法を探す。言われたことができればいいじゃないかっていうのか。自分だけで生きているんじゃないとしても、自分はないの?大きな目標ってないの?流されているくせに、平気な顔。自省していることが見えてこない。

 君らの楽しさの意味がよくわかるよ。
 それでは何も創造出来ない。まあ、しなくてもいいんだけど。

 まあ、活躍の場が与えられていないんじゃないかって言う錯覚を生じやすい社会ではあるけど…。

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Comments

若者だからこそ強がっていたいし、虚勢を張っていたくなる。若者だからこそ現実を見ないふりをして振舞いたい。
若者として、今しか出来ないであろうこの虚勢を張っていたいし、未来を考えないで振舞いたい。
しかし、若者はやがて来る未来を見据えて、今は敢えてこのような行動をしているとは考えられないだろうか?それが意識的にしろ、本能的にしろ対して差は無い様に思う。
子供の頃、親に対して反抗期なしに育ってきた人間は、大人になってから、何かが物足りない人間になるような気がする(ちなみに私自身に反抗期がなかったと記憶している)。それと同じように(反抗期が未来を見据えてかどうかは置いておいて。反抗期は本能的な行動だと思う。)、世の中に対する反抗の一つの手段として、この虚勢や振る舞いを捉えるならむしろ歓迎すべき行動なのではないか。カッコいい人間になるには避けないほうが良い道だと考えるのも一理あると思う。Dr.peace様には、我々若者を陰ながらでも嬉しいのでこの行動を見守っていてもらいたいのであります。
自分にとってカッコいい人間、カッコいい男とは何かを追い求めて、をモットーにいこうではありませんか。

Posted by: ある若者のつぶやき | May 28, 2004 at 04:06 AM

 コメントありがとうございます。本音で語っているつもりでも、そういう機会が薄らいでいる気持ちも片方でしている今日この頃、しっかり反省させてもらいました。

 さて、その場凌ぎの大人しさは、虚勢とは対極に位置するものだと思う。虚勢なんて張ると、その場では損をする。だから虚勢を張っているなら、今を引きうけ、将来を目指しているんだと思う。この文章は、それさえしていない人たちへのエールのつもりだった。
 だから、「ある若者のつぶやき」氏のコメントはこの文章だけを捉えて書かれたのではないと思った。

 我々は、己と世間の狭間に立たされている。皆それぞれの想いがぶつかる世間で、自分にとってどうとかこうとか言うのは自分で追求したらいい。それは庇護されるような種のものじゃない。いや、庇護されるかもしれないが、それは自分を陽にも陰にも提示することで、そういう出会いを見つけた人にだけ与えられるものだ。
 そして、狭間の迷いから脱却し、生き方を定め、それを追求する「覚悟」が生まれるのは、やはり意思を持った人との出会いだと思う。仕事人間でも、趣味に生きても、あるいはもっと多様な生き方を選ぶのだとしても。
 とはいえ、誰しもある運命の下に生き、自由じゃない。望まない人との出会いや、耳の痛い言葉も。私もいろいろ言ってはいるが、それはそれとして各自が孤独に生きるという側面についても考えて欲しいと思っている。「考えろ」ってしつこいのは駄目だろうか。
 そう考えれば、さまざまな人との出会いこそが、自分を豊かにするんじゃないだろうか。例え、気分がよくない関係であっても。そこから逃げるのは、必ず何かとの引き換えになる。ただ、その覚悟があるならそれをしたらいい。
 そのくらい分かった積もりになっているから、いま多少厳しく接している人がいる。しかし、正直に言って、彼に対してはどうしていいのか、手探りだ。わたしが気付いていないだけかもしれないが、彼から人生の覚悟についての本音が出てきていないという思うからだ。それが見えなければ、わたしにはそれを掘り起こすしかない。それは、彼のことを考えているつもりなんだが、お節介かもしれない。陰ながら見守れっていうのは、そんなお節介はいらないから、もっと悠長に考えろということなのか。それならそう直言して欲しいが、それは私の甘えなんだということは分かる。しかし、現実にはそれと真逆に向かっている。その原因は、時代感覚に敏感すぎて自分が頑張らねばならないという自我肥大と、人の可能性を信じすぎていることにあるのかもしれない。それは確かに私の反省すべき点だろう。

 ただ、自分にとってカッコいいという言葉。あの人はカッコよくない、あれはいい。そんな言葉を吐いた時点で世の中の価値観も含まれているということを忘れないで欲しい。そして、他方カッコよく生きる必要なんてないかもしれない。それはあなたの美学に過ぎない。まあ、言葉尻を捉えたような言い方だが…。ともかくも、自分に都合のいい環境なんて、自分で開拓しなければ、どこにもない。その意味では、こんなコメントをここにしていただいたことも、あなたの開拓の試みの一つなのだろう…。

 いろいろ書いてはいるが、わたしも迷い多き若者だった。周囲がそんなわたしにしてくれたことを思い起こしつつ、今は撹乱する者として、恩を返しているつもりだ。私なんて越えるに値しない存在かもしれないが、この試みを独り善がりだと言われたらどうしたものか。模索は続けるしかない。

Posted by: Dr. Pease | May 29, 2004 at 07:48 AM

 違和感に対し、いろいろ弁解めいたことを書いたが、それだけで済ませるつもりはない。
 自分も違和感を表現し続けている。表現だけでは駄目なのは分かっているのだが、表現しなければ批判を受けられず、次の展開には進みにくい。研究はもしかしたら自省だけでも可能かもしれない(多分かなり嘘)。でも、教育と称する仕事は、相手をどうにかすることだし、思い上がった私が自分ひとりで全部出来ることじゃない。だからこそ、未熟ながら表現しているのだ。
 だから、議論したい。やり込めるつもりはないけど、どうしたらいいんだろう。議論しないほうがいいこともあるのだろうとは思いながらも。

 でも、自省的でない人が、研究者ってあるんだろうか。わたしはそこを納得したい。今私が、学生諸子と対面して感じているのは、その違和感なのです。これは気質だから、良い悪いじゃない。もちろん、そういう人が居たほうが、組織としては円満になるんだけど。そして、別のところで書いたけど、大学・大学院は雇用のバッファとして機能している現実はわかるが…。それで本当に彼らのためになるのだろうか。最後は、個々人の人生だとしても、なんとかしてあげたいという思いは無駄なのか。
 思うが侭、静かにのほほんと暮らしていいなら、わたしもそうしたいのだが、それは不可能ではないかと諦めている。理想的には、個々のユニークさをうまくブレンドしてみんなが平和に進んでいけるのなら、それがいいと思う。それを目指しつつも、現実との対応に追われている。これは私の至らなさなのだろうが、それならどうしたらいいのか。みんなが少しずつ、現実との違和感を引き受けて生きるほかないのではないだろうか。その結果、こんな振る舞いになっている…。
 そのあたりを適当なバランスで出来るようになりたいとは思っています。

Posted by: Dr. Pease | June 05, 2004 at 06:19 PM

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