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押し付けと受容の人間関係

 押し付けは、迷惑をかける行為だ。そんなことはしてはいけない。そう親に言われて育った。

 多分、相互依存が自然に行われていた時代には、そういう表現で過剰な依存を回避するようにしていたのだろう。その後の急速な都市化と核家族化によって、個人主義が行き過ぎるところまで行き着いた。その結果、上の言葉は、人間疎外をもたらすことになる。

 確かに一方的なら押し付けは問題である。しかし、押し付け、押し付けられ、受け入れられ、受け入れるという相互関係ならどうだろうか。今や、人間関係を如何に必要に応じて構築するかがとても大切である。親子の世代間ギャップに基づく社会との違和に苦悩するくらいなら、親が押し付けたその手の教示を客観的に眺めなければいけないのではないだろうか。親との関係は、押し付けられていて、受け入れられているというものだから、受動的であり、安易に安心できるのだ。行儀の良い子は、親に押し付けたり、親を受け入れたりする機会を失っている。その安心感に甘えていては、自分が押し付ける側に回ることは出来ない。

 疎外感を感じるということは、何の彼の言いながら実際には受け入れていないのではないのか。自分が受け入れないということに違和感を感じ始めている自分に気付いているのではないのか。そのことから目を逸らすために、都合のいい理屈を並べているだけではないのか。

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