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他者の人生にどこまでかかわればいいのか

 大学院の重点化に伴い、学生の数は増加した。一方で、人件費削減のためかスタッフの切りつめを行っている。この結果、教員一人当たりの学生数は恐ろしく増え、彼らの自立をサポートするための環境が悪化している。自分が学生だった頃と比べて急激な環境変化に、正直言って戸惑っている。もちろん、研究の意味もこの十数年の間に大きく変化したし、教育の効率化もこの厳しい時代の中で考えていかなければならないとは思うが。

 増加したとはいえ大学院生ともなれば、選ばれた人材である。これは何も自意識過剰が言わせている言葉ではない。運なのか、本人たちの努力なのかは別として、彼らのような選ばれし「ある種」の才能を持った人間は、「公」の存在としても生きていってもらわねばならないと思う。そのこととは反対に、受験勉強は「自分が幸せになること」のために行うものだと言う点が強調されすぎているように思う。そのことが安易に理解され、パターン化され、現代学生基質に影を落としているように思える。


 要するに、昨今の物質的な豊かさや個人主義の高まりが、古来(?)からの「甘え」の文化と相俟って、エゴイズムに到達した結果だと思う。ジコチュー・オレオレ社員などのことばに、それが反映されている。かつて大学進学は選ばなければ大層なものでなくなったのに伴って、エリート意識は消えた。大学院も今や同じ問題に直面している。エリートとは公に尽くせる人材という意味である。今や、大学院生の中でさえ、自分の考え方や感性に疑いを持たず、公の意識を持てず、個性と称するエゴイズムがひとそれぞれとして許容されるという錯覚から抜け出せていないものが蔓延している。

 これを超えるには、これまでのように、高い知性の成せる自省する能力に頼ることは出来ない。もう、実地で鍛えるしかないのだろう。何がしかの問題に傾注し、さまざまな人々との間の本音で意見を出し、問題解決のために役割を分担することなどを、一度は経験してみる必要があると考えている。

 しかし、ナイーブな学生たちは、恥じたり、傷ついたりすることを恐れている。この感情はとてもプライベートなことである。以前、役割を担え、予定調和も経験してみろ、と書いた。これは「公」としての生き方の学習である。そういう想いで持って人と係ることで、自分がちっぽけな存在であるかを気付かせてくれる。そうやって、「公」と「私」のバランスが取れてくるのだと思う。

 問題が内面化しすぎ、私的すぎる状態になっているから、その欠点・問題点を指摘されたときに、恥じたり、傷ついたりするのではないか。一方、問題を外在化する一辺倒だと、無責任になりやすい。もともとその問題がなんのためにあるのかを、今一度考え直さなければいけない。それは、私的でもあり、公的でもあるはずだ。


 話が逸れてしまったが、このように抱えている問題は、内的であり、外的でもある。そして、これを実行していくためには、人の内面にも切り込んでいかねばならない。そのことは、衝突や誤解、不信感などのさまざまの感情的な葛藤も顕わにすることになる。

 こんなことは私的すぎて、職場とか学校とかにはなじまないと考えている人も決して少なくない。また、それは認めるとしても、敢えてそういう生き方を望まない人もいるだろう。

 はっきりいって、これは押し付けである。が、これが堪えられないなら去っていただくしかない、というくらいしかわたしは言いようがない。皆にもやめる自由は残っている。あるいは、わたしを説得してもらうほかはない。そこには、公的なルールなんてない。あたりまえだ。

 そういうスタイルではなくて、情の部分を削り取った表層的な知のみの、それをスキルと誤解しているなにか便利なものを欲しているとしたら、それもいい。ただ、わたしはそれに不満があると言っているのだ。

 それだってエゴじゃないかという人がいるかもしれない。そんな自分に無批判な、自分に合わないという感性と思いつきだけでそんなことを言われたら困る。でも、そんな人にはもう面倒なので反論しない。反論の代わりにここに嫌というほど書いているし、他にもかかわるべき問題がたくさんあるから。


 そうではあるのだが、はたして、どこまでわたしは彼らに関わらなければならないのか。もっと「しれっ」とした生き方をしたって構わないのだろう。実際そうしている先生がいるのを知っている。そのこと自体を批判するつもりはない。周囲からはうかがい知れないいろいろのことがあるだろうから。傍から見ているより、実際にはいろいろの影響を人は受けるものだ。

 できるかぎりのことをしていればいい、という言い方は安易に聞こえるだろうか。だとしたら、この仕事は私には向いていないのかもしれない…。

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