« 体の時代 | Main | 「やっても意味ない」ってどういうこと? »

思い通りにならないこと

 最近、しんどい。思い通りにならないことが多くて、辟易してしまう。委員会だの何だの研究以外の仕事が多い。だから、いろいろアイディアがあっても、それを自分ひとりでなにもかも実行することは出来ないことを痛感する。となれば、人に頼るほかない。しかし、学生それぞれにも人生がある。彼らが望むことを押さえ込んでまでも私の意図を通すことに信念を持てないことが、私の弱さなのかもしれない。

 こうしたほうがおまえのためだという押し付けが、本人のためになるかどうかは正直言って分からない。それは運命である。それとは逆に、彼らが望んだことが出来ることが本当にいいことなのかも同じく分からない。後者は、望んだことをした以上、本人はひくにひけない状態になるように思いがちだが、それとは無関係に、望まずとも現実は対応を迫る。その意味ではどちらも大差ない。やはり、本人次第だし、出会う人次第だと思う。

 斯く言う私も、修士課程を終わるタイミングで大学外の研究所(以下、外研)に行って研究することを勧められたとき、一回は拒否した。当時は研究が順調でなかったのだから、環境を変えてみるいい機会だった。先生はそれを見て、環境も良い外研に行きなさいといった。義理深い私は、面倒を見てもらっていた助手の先生を裏切るようで、嫌だった。しかし一方で、当初からの目標を達成するためにいろいろ考えた身勝手ではないアイディアを実行させてくれない環境に限界を感じていたのは事実だった。最終的には、勧めに従い移ることにしたのだ。

 それは、結果としては良かったと思う。しかし、別のところにも書いたが、大事なことは環境だけではない。与えられた場で、自分の発想で出来る限りのことをしてみることだと思う。外研では先輩面はできず、また未熟者からやりなおしになる。そして、確かにいろいろ分からないことを研究員の人たちに尋ねたりもしたが、そこはやっぱり周囲はプロ集団だから、いい加減なことを聞くことは恥ずかしいという感じもあった。ここがわかんないから教えてくださいなんて、素人感覚丸出しで聞くなんて、場違いな感じだった。彼らは教育するためにいるわけではないから。だから結局、自分を追い込んでよく勉強したと思う。そして、思いつく限りのことは、いろいろしてみた。学生の特権である。そのことを認めてもらえたんだろう。学位取得後に、放り出されず、運良く常勤スタッフとして採ってくれた。


 去って欲しくない人が去り、残って欲しくない人が残る。これはどこの場所でもそうらしい。学校というところは、時期が来れば必ず人が去る。それはいい面と悪い面がある。最近は多くの研究機関は任期制になって、こいつは使えないなとなれば、そのまま切ってしまうから、学校と変わらなくなってきたのかもしれない。とはいえ、学校は、人を囲っておける金もポストもそうそうない。また、教員からしてみれば、自分の意思でそうするのだから仕方がないと言ってしまえば、責任を回避できているという側面もある。

 まあ、仕方がないか。わたしも、才能のある人との係わりをうれしく思って、学生時代をすごしてきた。その反面、自分が成長できないような係わり合いをなるべく排除してきた。そうやって、自分の時間を大事にし、かつ、社会に生きるための係わりを維持してきたのである。その戦略は今となっては間違っていなかったと思うが、その分、自分の時間を制限してやってきた。だって、身の回りの才能のある人、できる人は、寸暇を惜しんで研究をしていたから、わたしもそれに倣った。

 だから、ひどい言い方かもしれないが、才能がないくせにやる気がなくて、そのくせプライドの高いやつは好きになれない。面倒くさいとか、難しいから仕方ないとか言う人。そんなひとはわたしに頼らないでね。まあ、こんなことを言ったら、自分の仕事を減らさないととても間に合わないのだけれど。でも、わたしがどうしたって、そんな人は社会で通用しません。便利に使われているだけなのに、出来ているんだなんて勘違いしているのだとしたら、かなりまずいかも。

|

« 体の時代 | Main | 「やっても意味ない」ってどういうこと? »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29245/469303

Listed below are links to weblogs that reference 思い通りにならないこと:

« 体の時代 | Main | 「やっても意味ない」ってどういうこと? »