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意地悪な電話

 関西から関東の中学に転校してまだ一月も経たないとき、隣の席の女の子から、カンペン(いまでもこう言うのかな)と数本のサインペンのセットを貰ったことがある。

 まだ、自分の本領なんて発揮する場がないから、単におとなしい可愛い(?)男の子という印象しか、周囲に与えていなかったはずだ。お勉強がそこそこ出来ることがまだ知られていないのに、好意を寄せてくれる女の子がいることに私は驚いた。ちょっと可愛い子だったので、それから気になって仕方がなかった。まあ、転校生が女の子と付き合っていたら、それこそ…。そのあたりにはとても敏感なわたしは、自然に仲良くするだけだったのだが。

 そのプレゼントを目ざとく見つけた御仁が、触れ回ったりした。新入りにとって、それをきっかけにいじめられるととてもつらい。孤立無援だから。でも、大事に至らなかったのは幸いだった。

 そんなある日曜日。自宅に、ある女の子から電話がかかってきた。母が取り次いで、わたしに受話器をわたす。誰なんだろう?出てみると、どこかで聞いたような声。でも、まだ一月くらいだと、顔が浮かばない。

 好きな人はいるのかとかプライベートな事を聞いてきたり、わたしの好きな色を聞いてきて、わたしもその色が好きだといってみたり。数人の女の子がかわるがわる話をしてくる。最初は疑いもなく返事をしていたのだが、これってなんだろうと思い、返事するのをためらっていると、奥のほうで笑い声が聞こえる。ああ、あの人なのか。同じクラスの、顔は可愛いのに意地悪そうな女の子を思い出した。それを頼りに全員の顔が思い浮かぶ。

 適当に理由をつけて、電話を切った。


 これって一体なんだったのだろう。幼いわたしはいろいろと考えを巡らした。女の子って、だいたい幾つかのグループに分かれて行動していることが多い。そのプレゼントを呉れた女の子は、あまり目立たない女の子たちのなかで中心的な存在だった。とてもしっかりしているように見えた。別の子らも、わたしが気にならなかったわけではないのだろう。そこで、ちょっかいだしてみようと思ったのではないか。

 そのうえ、わたしはうぶで可愛い男の子に見えただろう。まあ、それは今も大差ない(?)ように思うが。だから、女の子たちには、なめられているのかもしれない。

 私に関心を持つ女性たちは、常に私を上位から眺めているように思う。わたしの、女性的とも思える敏感で高い感受性によって感受した刺激を、臆病にも思索に繋げる様は、かわいらしく、愛すべき対象であると思えるらしい。私への感情は母性本能にも関係するとある人は言った。これは、恋愛とは少し違うだろうが、区別できない女性も中には居るのである。わたしも、それを求める愛と勘違いし続けてきた。

 しかし、ある意味勿体無い話かもしれないが、わたしには自尊心もあるし、そんなお節介が好きになれない。わたしは対等な関係を求めている。人の成長には、さまざまの人間とのさまざまの係わりが大事ではあるけれど、それは、相互を尊重し敬意を持つ中から育まれるものではないのか。一方的に教授する関係などありえないと思う。それに対し、彼女らはただ母性本能を一方的に押し付けてそれで満足しようとするように見えた。その結果、わたしは女性との関係をうまく構築できた試しがない。繰り返し彼女らのそんな部分を引き出させ、その度わたしは幻滅する。それが頻繁に感じられると、嫌気がさしてくる。

 となると、わたしにとっては、わたしと同じように敏感な女性たちしかいないのかもしれない。そうやって、こちらの父性本能(?)をも満足させて、「おあいこ」にしてしまえばいいのかもしれない。あるいは、自分のそんな性質を変え、引き出させないような振る舞いをするか、そんな彼女らを却ってそのまま愛するか、のどちらかになろうか。

 女性たちをして母として関わらせようとするこの敏感さは、わたしの思索の根本であって、あらゆることごとを俎上にのせ分析する気質に反映している。そうやって、わたしは現在の自分を構築してきたのである。そのことにもちろん多くの人は気付くはずもない。単に、思索好きと、繊細さが共存しているのだと。もう少し言って、何かの関係があるとは思っていても、それ以上の思索が多くの人にあるわけがない。

 その後は別の展開を見せることになる。多分、彼女らは想像できなかっただろうが、わたしはその中学でもみんなにとって、特別な存在になっていった。だって、勉強が出来るのに、自己主張しない静かな男だから。他の手っ取り早く目立とうとする手合いとは、明らかに一線を画していた。転校してすぐに行われた全県実施の実力テストで、わたしの偏差値を見て周囲は、「関西の人はみんなこのくらいできるの?」と言った。そんなわけないだろうと思いつつ、「できるほうだったけど…。」と答えたわたしに、別に深い意図は無い。わたしは、共感くらいしか、人に求めているものはないから、その意味でも謙虚であると自分で言える。普通に見える私にうっかりしている人が多そうで、却って安心する。ただ、操るのはそんなに簡単じゃないですよ。


 って書いてしまった後で、せっかく人と係りあえるきっかけを、無残にも切り落としてしまっている自分に気付く。わたしらしく静かに係わり合いを続けていくべきなんだろうな。最近ちょっと刺激が多くて、反応も過剰すぎるのかもしれない。

 塩野七生「男たちへ」に、オノ・ヨーコの言葉が引用されていた。

 「男女平等? なぜ優れている私たち女が、男たちのところまで下がってきて、平等にならなくちゃいけないの?」

 ああ。対等な関係なんて、望むべくもないのかも…。


 中国出張で、ある立派な先生にスナックに連れて行ってもらった。日本語が多少できる女性がお酒の相手をしてくれたのだが、そこでもわたしの精神年齢は12−14歳くらいだと、うら若い美しい満族の女性に言われた。中学校から変わっていないのか。まあ、そうかもね。わたしの心の幼さは万国に通用するのだろう、周囲に確実に読まれているのだ。同い年のママさんには、大人だといわれたけど、それって慰めか、彼女の不幸な生い立ちを聞いたりした内向的な会話のせいなのかどうかはわからない…。ともあれ、この子どもっぽさについては別のところで触れたい。

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