« 分類される私 | Main | 意地悪な電話 »

内なる旅

 父を亡くした昨年の6月以来、わたしは自分の内面へと旅立った。大学の学部時代をこれに費やして以来、十数年ぶりのことである。あのころと比べてなにが変わったのか。その間に仕事の成果があって、多少の自信はついたものの、然して代わり映えしない自分に気付く。

 もうそろそろ、この旅から日常に帰らなければならない。この旅のきっかけは、父を亡くしたときに貰った友人からのメールである。そこには、「ここまで懸命に走ってきたのだから、ゆっくり休んでもいいんじゃないか」という、優しい言葉があった。

 この言葉をありがたく受け取りながら、自分が目を伏せてきた一側面に向き合おうという試みに、いよいよ本格的に時間を割こうと思い至った。自分の存在意義を危うくするような所業、つまり研究以外のことに現を抜かしていいのだろうかという不安もあったが、今このことをしておかねばならないと思った。孤独の陥穽の中で、充足感と寂寥感の中にいた私には、心と他者との係わりの問題にけりをつけたいと思ったのだ。

 この思いはなにも、今に始まったことではない。しかし、研究の成果を求められ、それを得ることによって生かされていると信じていた私には、やすやすと傾倒できる問題ではない。しかし、研究ではなく学校での講義を行う中で、学生諸子とのコミュニケーションの難しさを強く感じたことに端を発し、心と他者への係わりを強く意識するようになったのである。

 最近評判の村上龍氏の著書「13歳からのハローワーク」には、氏の両親が教師であったこともあってか、特別の思い入れを持って理想の教師像について、次のように述べられている。

 『これから求められるのは、教師の権威の復活ではなく、児童生徒とのコミュニケーション能力を持った教師である。これから、教師を目指そうとする子どもや若者には、いろいろの知識やスキルを身につけることはもちろんのことだが、どのような学校に勤めるにせよ、まず「自分の人生を充実させ、楽しむこと」を優先させて欲しい。』

 これは大学教員に向けられた言葉ではなかったのかもしれないが、魅力ある教官像を構築することに意義があるということは、私には自然に理解できた。というより、一緒に居る人間が魅力的であれば、前向きになれるし、ともに時間を一生懸命過ごしたいと思える。こういう生き方を実践するための場を作るのが、教育には必要だということなのだろう。これは職場環境とは大きく異なっている。職場では、金を得ているという事実があって、集団はある目的に向かって進むことが対価として求められている。そして、そのことを構成員たちは理解せねばならない。教育の現場にはその当たり前の強制力はない。だから、前向きに生きていくということを見せ付けなければ、動機がないのである。

 老獪な先生方のような経験もないわたしは、未熟な若手(?)の教官だ。そして手持ちの研究技術だけでは満足できず、独自な研究を求めて日々彷徨っている。それほどまでに難しい命題なんて掲げなくてもいいはずなのに試そうとしている。もともとこの命題に没頭することを覚悟して、研究所の研究員として狭いニーズに応えていればいいだろうと孤独に向かった筈だった。一人なら思うがままに生きてもいいかなと思った。それがいつのまにやら、心を使う商売に鞍替えしてしまった。そして昨年来必要だと思って急遽心を穿り返したら、却って不安が亢進してしまった。

 わたしは、前向きに生きるために、悩み考えている人間であるということは、あからさまになっている。それでいいのかなと思っている。その一方で、ちょっと違ったことを考えている。目の前の個々の問題に没頭できないということの意味は何か。自分の思い込みに夢を抱いている。

 だめなら、首にしてくれという覚悟もない。じっとしていて幸せになりたいなんて虫がいい事を考えている。いつもそこに至ってしまう。ここまで人生を制限して、能力を高めてきたのに、それを使いこなせないで居る。

 内なる旅は、あまり意味がないのだろうか。わたしの場合、内面を掘り下げる一辺倒になってしまって、現実における他者との係わりを無視してしまっているようだ。現実の問題・人間を見ていない。そのことは、わたしの気質なのだろう。自分による自分の解明。これが可能なのかは、結局不明なのに、それを信じていつまでも掘り続ける。他の手立てを考えねばならないのにいつも常に一辺倒。何も進歩していないというのはこのことだろう。

 しかしやはり、他者との係わりを無視して生きることはありえないのだ。今日もこうやって、ここにやってきた。Enneagramだの、HSPだのは、本当はあまり好きではないのだけれど、いろいろと教示的なことを述べてくれるし、それはやっぱりありがたいことなのだ。なにか、自分の大事にしてきたところが、一部の他者と何も変わるところのない一気質に過ぎないということを詳らかにしてくれる。


 区切りを今年度末に設定したためもあってか、あと二ヶ月を切った最近の精神状態はいろいろあった割には、悪くない。いや寧ろよくなってきている。以前なら凹ませてくれるいろいろの事々も、客観的に軽く見られるようになっている自分に気付く。やっぱり、来年度は研究に没頭しよう。だからといって、ようやく向き合えるようになった人付き合いの問題を止めるつもりはない。もう少し、外に向かってみよう。

 この一年は無駄じゃなかったのかな。

|

« 分類される私 | Main | 意地悪な電話 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29245/457577

Listed below are links to weblogs that reference 内なる旅:

« 分類される私 | Main | 意地悪な電話 »