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感受性って何

 中島義道先生の本を読んでいたら、塩野七生さんの『男たちへ』についての面白いコメントがあって気になっていた。ある日、古本屋で見つけて買ってみた。その軽妙な筆致に反して、どきっとするような厳しい言葉が並んでいて、とても楽しくなってしまう。

 最近、幸福感が得られていない私には、特に『不幸な男』の件が気になって仕方がない。

 「原則に忠実な男」と「完璧主義者」と「迷う男」。これが不幸な男たちだというのだ。ほとんど全部当てはまってしまうのに気づいて、なんとも私って哀れだなと思う。まあ、一人の作家先生の考えに過ぎないんだが。


 そう。そうやって、人の意見に振り回されている。一々反応する。これが感受性。要するに、真剣に人と係わってこなかったからか、自分の価値に気づいていない。だから、自分を大事にしていない。別に、自分なんて投げ出したって構わないっていう気持だってある。

 そう思うのはなぜか。博愛主義って言うのだろうか。あらゆるものを受け入れたいような気になっている。その実、その人の意見に斟酌すべきものがあるのかどうか、確認することをしていない。そんなことをするのは大変なことだから。「本当の」本音を引き出すのは結構大変だ。日本人なら「甘え」を引き出せるのかもしれないが、最近の都市生活者はそんなに甘くない。

 だから、これはと思う人の言うなりになっていれば、とてもやりやすい。だけど、それで本当にいいのだろうか。うまく行けば褒められて、満足できるけど、それがわたしの望みなのだろうか。まあ、そうだったのかもしれない。


 でも、悲しいかな、こんなことを問い続けたりして、わたしは自分を愉しくなくすることに慣れ過ぎているような気がする。そして、うまく行くことを手に入れたりしてきた割には、少しばかりの愉しみで充分満足している側面もある。まあ、それが感受性の高さだといえば分かってもらえるだろうか。そんな小さな成果を挙げるために必要な小さな責任を果たすだけで、もういっぱいいっぱいだった。人から見ればこれだけの実績を挙げてきて、少しの愉しみなのかというかもしれないが、手に入れてしまえばそれはもう幸福感を与えないものだ。そのことに気づいてしまったから、感受性の高さは不幸な気持を煽ってしまう。

 でも、同じ環境で時間を過ごせば、その不幸さと幸福さの間で適度なバランスを取ることには長けてくる。自分の望みとか、自分の価値とか、そういうものに無頓着になっている自分に気づくのだ。だから、環境を変えてみた。新天地で自分の価値を探すっていうのはあんまり易しいことじゃない。でも、自分を見つめなおすには、そんな荒療治も必要だと思えた。自分を追い込んでみないと、環境に甘んじて、物事の本質に到達しない。

 厄介にも事あるごとに一々凹んでしまうような感覚のお陰で、物事に潜んでいるさまざまなことごとを逐一突き詰めてみて、それがために、わたしも少しずつだがマシにはなってきているということである。とはいえ、物事の本質に到達しつつあるのかどうか…。でも、曖昧にしたまま放置したり納得したりできない性なのだから、このまま突き進んでしまう他ない。誰かこの行路に付き合ってくれないだろうか…。しつこい質だけどね。



 自分を追い込んでみると書いたのだが、これこそエゴイストの考え方なのかもしれない。あまり追い込みすぎると、ストレスを周囲に見せ、周囲を巻き込んでしまう。そうなると、人は去っていくかもしれない。その意味で、わたしはあまり教員に適していないかもしれない。いや、それこそ過去の蓄積を大切にするということだったのだ。

 わたしの志はなんだったのか。わたしにとって成功とは。物事の本質に到達したいということがそうだとして、それは研究者でなければ不可能なのだろうか。多分そうではない。ただ、もう私は研究者しかない。いや、他の可能性もあるかもしれないが、もう少し先のことだろう…。

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