« 幸せになりたい | Main | 感受性って何 »

読書という愉しみIV

 目の前で起きていることやそこから感じたことを文字にするということはどんなことだろうか。


 我々の内面にある無意識。こいつは、私たちの感覚やそれに基づく行動を左右してくれるのに、自覚されることはない。つまらぬ事をしてしまったりして後悔しても、無意識だから如何ともしがたい。ではどうしたらいいのか。

 無意識を理解してみたらどうだろうか。それは容易ならざることだったり、目を背けたくなることだったりするが、それ以外に手立てがあるだろうか。

 無意識を意識の俎板に上げて来るためにはどうしたらいいか。まず、言語で分析するということである。そして、これを行うには、やはり他者の言葉を参考にしつつ、自分の言葉を紡いでいくほかは無い。

 だから、本を読む。確かに、人と話したり、テレビを見たり、漫画を読むのも悪くは無いんだけれど、それでは決定的に不足している点がある。これらの画像に頼るメディアは、これらの間接体験を日常の直接体験となんら変わりないものにしてしまい、流れていってしまう恐れがあるということだ。作り手の意図を汲まなければ、読書もそれ以外も変わりは無いのだが、この画像に引き摺られない本というメディアは、確実に脳を鍛えてくれている。それがつまらなくてもなんでも、日常と同じように流してしまうことはないだろう。少なくとも読んだというのならば。読んだのか読まないのかの判断がまだ分かりやすい。

 もっと言えば、ある感情を持つ人について伝えたいとき、言語で説明するのか、映像で説明することの差を考えてみたらいい。まあ、何かに気づくということ自体は、そういう人の気持との出会いだから、どちらが高級とかそういうことだけではないのだけれど。でも、紙と鉛筆は一番低級かもしれない。

 とはいっても、分かるということの次の段階には、人の言葉だけで分かった気になって、さらに、まるで自分で考えたかのような気になるというのが控えているから気をつけねば。でも、人の言葉を剽窃していたって、それが腹から出ている言葉なら、独自じゃないなんて言いません。ただ、人の言葉を参考にはしても、自分で言葉を探すことの苦悩を知っている人のほうが、わたしは好きだな。

|

« 幸せになりたい | Main | 感受性って何 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29245/457477

Listed below are links to weblogs that reference 読書という愉しみIV:

« 幸せになりたい | Main | 感受性って何 »